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混迷の漂流国家ニッポン。政治の理想を追求すべく"新党ひとり"をバーチャル立党。それが『未来党(The Next Generation's Party)』。

田母神東京都知事待望論 [政治]

東京都知事選挙の告示日を迎え、いよいよ首都・東京の首長選び(直し)がスタートしました。

私自身は都民ではないので、投票権はありませんが、
首都の顔でもある都知事は、ある意味日本のスポークスマンでもあると
思っていますので、非常に大事な選挙でもあると認識のもと、
あえて「未来党としては、どなたが都知事に相応しいと考えているか」
について述べさせて頂きたいと思います。

まず争点について、簡単に意見を述べておきたいのです。

現時点で、原発とオリンピックについての考え方が争点になっているようですが、
原発問題は、国政のお話であって、
都知事に、「原発の方向性を決定づける権限の有無」があるのかがまず問題とすべき点です。

権限がないのであれば、都政には直接的に関連がないことであるので、
サブテーマの一つにとどめるべきです。

私は当ブログにおいて、東日本大震災直後から、原発は必要である、止めてはならない、
ということを訴えて参りましたが、大震災直後はまるで魔女狩りのような雰囲気で、
「脱原発」、「原発ゼロ」以外は認めないかのような、異様な空気感に包まれていました。

しかし、ここ最近では時間が経過したこともあり、感情論が先行していた議論も落ち着いてきて、
やっと科学的な討論ができる土壌が形成されてきつつあります。

原発否定派の代表的な候補としては、細川氏と宇都宮氏でしょう。

原発否定というのは、私自身も心情としては痛切に共感できるところはありますが、
現実論として成り立たないので、原発が必要であると訴え続けているのです。

まず、原子力を手放して、太陽光・風力発電などの自然エネルギーで、
必要な電力を賄うというのは技術的にも物理的にも無理であること。

そして、実際には石油、石炭、天然ガスなどの化石燃料に極度に依存する、
というイビツなエネルギー構造になると想定されます。

その結果、それらの化石燃料の大部分を輸入に頼っている我が国は、
戦争・紛争などの国際情勢によって、国民生活が大きく左右される、
という極めてリスキーな道を選択することになります。

加えて、以前から何度も訴えているように、
タンカーが通るシーレーンを、どこかの一党独裁国家によって封じられる、
という可能性もあり、その場合は戦わずに属国になっていくシナリオもあります。

日本が属国になる前にも、例えば電気代が10万円を超えるとか、
ガソリンがリッター1000円を超えるということもあり得ますし、
その他、生活必需品、食料品が極度の値上がりをし、
結果的に、日本経済の崩壊への道を辿る、暗い未来が予想されます。

それ以外にも、冷暖房を思うように使えずに、熱中症や冬場の寒波などで、
大量の死者を出すということもあるでしょう。

脱原発、原発ゼロに提唱・賛同する人は、
エネルギー政策が、国家安全保障問題と軌を一にするものだと認識すべきです。

また、経済レベルにおいても、国家没落・破綻をもたらす、
貧乏神の思想
であることも知っておいた方が良いでしょう。

この問題に対して、現実論として「原発は必要。再稼働すべきである」
と堂々と正面から論陣を張っているのは田母神氏しかいません。


原発問題については、舛添氏は消極論的に容認の態度で風見鶏ですし、
細川氏宇都宮氏原発反対派ですので、まったくの論外です。

田母神氏について、以前からブログやインタビュー記事等をウォッチしてきましたが、
前回の自民党総裁選で、石破氏、石原氏が有力視される中で、
自身のブログにて「第二次安倍政権待望論」をぶちあげていました。

田母神氏のブログから読み取れることは、靖国を含めた歴史認識、
国防に対する考え方、原発に対する考え方を含めて、
安倍首相の政策と、ほぼ一致しています。

根本的に異なっていたのは、消費税増税についての意見で、
田母神氏は消費税増税はすべきではないと主張し続けていました。
(ちなみに、未来党も消費増税反対派です!)

しかしながら、増税が決まってしまった今となっては、
安倍政権の政策とほぼイコールと見て良いと思います。

ですから、この要素だけ見ても、
本来ならば自民党が支援すべきは、田母神氏をおいて他にいません

加えて、2020年東京オリンピックに向けての都市整備という点で、
現実的かつ具体的な都政レベルの政策を打ち出しているのも田母神氏です。

オリンピックは国際的に注目されるイベントですので、
テロの標的になりやすく、また犯罪の増加等も予想されます。

そうした不測の有事に備えるために、
元航空幕僚長という経験を持つ田母神氏はうってつけの人物です。

オリンピックに向けて、道路・鉄道等の交通インフラや宿泊施設等の充実なども大切ですが、
有事に対するソフト面での対策というのも避けては通れない重要課題です。

さらに、犯罪は対策を施すことで未然に防ぐことも可能ですが、
天災は防ぐことができないため、起きる事象を想定しつつ、
被害を最小限に食いとどめる体制づくりが求められます。

どなたが都知事に相応しいかということについて、単なる人気投票ではなく、
誰の政策が東京をより発展させ、日本の更なる飛躍の原動力になるのか
という観点で考えてみて頂きたいのです。

逆に言えば、
誰の政策が東京を没落させ、ひいては日本を崩壊に導くのか
ということでもあります。

この観点に照らしてみて、未来党としては、
田母神氏が都知事として最も相応しいと宣言致します。


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未来党再始動 [政治]

久しぶりの投稿になります。
♪~( ̄ε ̄;)

個人的に仕事や家庭の方でいろいろ多忙であったことと、
民主党政権が崩れ去り、自民党政権が復活したことで、
当ブログの役目は一段落したのかな、
という思いでしばらくお休みをさせて頂いておりました。

私個人としましては、安倍首相の主要政策に概ね賛同しています。

が、しかしながら、私から見える「アベノミクス」の問題点と、
限界について危惧するところがあり、ご意見申し上げたい、
という思いが沸々と湧いて参りました。

本日は参院選の公示日ということで、タイミング的にもよろしいのではないか、
ということで久しぶりの投稿となった次第です。


まず、アベノミクスという造語自体、レーガン政権時代の「レーガノミクス」
という、レーガンとエコノミクスを掛けあわせたものに由来していることは、
殆どの方がご存知だと思います。

しかしながら、その根本的なベクトルが真逆であることは、
あまり知られていないことかも知れません。

まずレーガン政権下では大胆な「減税政策」を取り、
アメリカの活力を喚起する方針でした。

これが、短期的には双子の赤字と呼ばれる、巨額の赤字を生み出した
ことでも知られていますが、一方で中長期的に見れば、
その後のアメリカ繁栄の基盤になったことは疑いようがありません。

このレーガノミクスの減税主義については、以前当ブログでも
ご紹介させて頂いた、ラッファー氏の『増税が国を滅ぼす』に
詳しく書かれています。

増税が国を滅ぼす 保守派が語るアメリカ経済史

増税が国を滅ぼす 保守派が語るアメリカ経済史

  • 作者: アーサー・B・ラッファー
  • 出版社/メーカー: 日経BP社
  • 発売日: 2009/07/16
  • メディア: 単行本



翻って、第二次安倍政権の方針を乱暴にまとめると、増税主義です。
消費税率が8%、10%と上がり、その後も上がり続けることが予想される道です。

そのほかにも自動車税の税率上昇などを始めとして、
じつに豊富なラインナップが取り揃えられています(笑)。

今、短期的には経済効果が出ているように見えますが、
民主党政権が終わったことによる安堵と安倍政権への期待感から、
日本国民の気持ちが高揚していることが要因ではないかと思うのです。

「景気」という言葉は、以前にも触れましたが、元々経済用語ではありません。
「おっ、景気がいいねぇ」という使われ方をよく耳にしますが、
高揚した気持ちや、それに付随する空気感のようなものが、
案外「景気」の実態なのかも知れません。

ですから、
「安倍首相なら、この国を変えてくれる」
「経済を活性化させてくれるはずだ」
という期待感やムードが消費を押し上げ、投資を呼び込んで、
一時的にアベノミクス景気のような状況が展開されたと思われます。
もちろん金融政策なども後押しはしていますが・・・。

しかし、その期待感に実像が追いつかない場合、やがてその期待は、
失望へと変貌して、一気にしぼんでいきます。

「成長戦略」と何度も連呼されていますが、私にはその中身が、
昭和時代から使い古されたアイデアの焼き直しにしか見えないのです。
大胆な改革も、新機軸の発想も、そして何より日本が向かおうとする
国家像が伝わってこないのです。

この点は、国内外の投資家に見透かされていくと思います。


あと、大事な点は、消費増税前の駆け込み特需が起きているのではないか、
という可能性です。

戸建、マンションなどの不動産や、車など、比較的高額の商品は、
増税前に購入した方が得だからです。

つまり、需要の先食いをしている可能性があるということです。

その需要の先食いについては、数年前の家電エコポイント政策の末路を
見てみると、その負のインパクトの大きさがお分かりになると思います。

今度は、それが家電業界だけでなく、様々な業界に及び、
結果として日本経済が壊滅的になっていくトリガーになりかねない、
という懸念を私は抱いています。

何度も何度も繰り返しお伝えしていることですが、
消費税の導入、そして税率引き上げを受けて、国家の税収は増えるどころか、
逆に減ってしまっているのです。

この辺りの検証が殆どなされていない、あるいは意図的に避けられている、
というところに不気味さを感じています。

さらに、国の借金ばかりクローズアップされますが、財政バランス
というのであれば、国の「資産」もきちんと見なければなりません。

あと、国際的に見れば日本は債務国家ではなく、債権国家である、
というところも見逃してはいけない観点です。

その他に大切な論点としては、よく諸外国との消費税率の比較で、
日本はまだまだ低負担だというデータがテレビの情報番組等で紹介されますが、
日本人は消費税以外の税負担が既に大きく、国民負担率という観点で見れば、
現時点でも日本はかなりの重税国家であることが一目瞭然です。

私自身は、消費税増税には反対の立場ですが、最終的には日本国民が
増税を受け入れるならば仕方ありません。

ただし、その結論に至るまでには、可能な限りフェアな議論をし尽くして頂きたい、
そう願ってやみません。


これからしばらくは、集中的に未来党なりの国家戦略、国家像を、
当ブログで発信してみたいと考えています。

未来党的興国論を展開していきますので、ブログに訪れて下った皆様の、
何らかの議論や判断の一助となれれば幸いです。


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一般参賀と靖国神社参拝 [政治]

昨日は、皇居で天皇陛下はじめ、皇族の方々がお出ましになる、
一般参賀が行われていました。

一般参賀は一日で数回行われるのですが、
今年は午後の時間帯に行く事にしました。

風は少し強めでしたが、日差しがとても強く、
とても真冬とは思えないほど暖かい日でした。

車で日比谷公園まで行き、駐車場に停めてから、
ゆっくりと散歩しながら皇居へ向かいました。

有名な日比谷花壇
いつ見てもオシャレな外観です。

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日比谷公園から信号を渡り、お堀の脇道を皇居へ。
チラホラと皇居ランナーが。

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入り口からしばらく歩いて行くと、国旗を配ってくださっている方々がいます。
いつもご苦労様ですッ。
(`・ω・´)ゞ

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そしてまたしばらく進むと、おなじみの騎馬隊?がいらっしゃいます。
いやー、お馬さんもエリートなんですかねぇ。
どちらも凛々しいお姿です(笑)。

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さらに奥へ歩みを進めると、セキュリティチェックのコーナーが。
まず手荷物検査、次に金属探知機の検査、最後にボディチェックという、
トリプルチェック。

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検査を終えて、しばらくゆっくりと歩くことになります。
何といいますか、非日常の世界が広がっています。

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そして、
この門を抜けると・・・

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宮殿が目の前にっ!

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なんとか宮殿中央のあたりにたどり着きましたが、
かなり後ろの方で、陛下がお出ましになっても、
旗を振られると、まったく見えません(笑)。

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観衆の興奮がおさまった間隙をついて、なんとかお姿をカメラに収めることに成功♪
何度見ても、オーラが違いますなあ。

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帰り道、宮内庁庁舎や、皇居専用車両をパチリ。

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御苑を抜けて、武道館の横も抜けて、
目指すは靖国神社。

靖国前は何度か通ったことがあるのですが、きちんと参拝するのは、
今回が初めてなのです。

いやあ、鳥居がデカいですね~。
存在感ありまくりデス。

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参道を進んでいくと、両脇にテキ屋さんがいっぱい。
いい匂いが充満してる感じです。
かなりの距離を歩いていたので、腹が減っていろいろ食べました。
この雰囲気がたまんないです。

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お腹も満たして、いざ参拝、なのですが、
この時期サクサクと参拝できるわけもなく、約40分ほど並んで、
やっと参拝完了。


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そういえば、獅子舞が活躍してました。

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お守りや破魔矢を購入し、テキ屋さんで再度エネルギーを補充し、
スタート地点の日比谷公園へ帰るのですが、ちょっとだけ寄り道して・・・

国会へ行って参りましたっ!
∠(`・ω・´)

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結構疲れましたが、来年もぜひこのコースでお参りできるように、
健康でいられますように...
( ̄|| ̄)


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【再掲】 未来への提言(1997年論稿) [政治]

年頭のエントリーをどうしようかと、いろいろと考えているうちに、
はや数時間が過ぎました。

そこで、だいぶ前に掲載した内容ですが、
私の政治的・思想的バックボーンを改めてご紹介するに、
ちょうどよいものがありますので、ここで再掲載させて頂きたいと思います。
決して手抜きではありませんよ(たぶん...)。

元々15年ほど前に大阪で仕事をしていた頃に、
地元の有志で作っていた同人誌的なものに寄稿した論考です。

内容的には、まさに未来党の原点とも言えるものとなっており、
クラゲのように漂流する国家、そして「無告の民」への警鐘でもあり、
混迷の色が一層深くなりつつある今だからこそ、改めて世に問いたいと思います。

あまりに理想主義的な文章に、青臭さを感じる方も多々いらっしゃると思います。
しかしながら、そうした青臭いもの、理想、そして夢や情熱といった力が、
常に時代を切り拓いてきたことを思い出して頂ければ幸いです。

神は人間の業を支配する。
神の助けなしに一大国家を建設するはずはないのである。

                                                ベンジャミン・フランクリン

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ハリウッドSF映画の名作、『スターウォーズ』シリーズが、未公開映像約5分を盛り込み、『特別篇』として今年の6月から公開されます。一作目が公開されてからちょうど20年目にあたるということですが、現在この一作目は『エピソードIV A NEW HOPE(新たなる希望)』と名付けられています。

悠久の昔、その強大な軍事力で銀河支配を目論む帝国軍に銀河が蹂躙され、人々が希望を失いかけた時、ルーク・スカイウォーカーという若いジェダイの騎士が闇との戦いに立ち上がり、同盟軍の多くの同士と共に銀河の平和のために帝国軍と戦いを繰り広げる・・・という壮大なスペース・オペラが『スターウォーズ』のストーリーですが、形は違えども、シチュエーションとしては現代の日本の姿と似ていなくもないと思うのです。

現代の暴君と化したマスコミ権力

「現代の悪魔は活字から入ってくる」とルドルフ・シュタイナーは言っています。
既に司法・行政・立法の三権を抑え、事実上の第一権力となったマスコミが、言論の自由を振りかざし、明らかに恣意的な情報操作、国民の感情操作によって「世論」を作り上げ、国政を左右し、あろうことかペンやマイクによって多くの人の心を害しています。

そして、その結果については何ら責任を取ることがありません。
これはまさに暴君そのものの姿と言わざるを得ません。
日本という国を支配しようとしている闇の勢力そのものでもあります。
「言論の自由」、「表現の自由」を単なる「営業の自由」に堕落させ、売れさえすればいいという拝金主義に染まったマスコミが、数多くの人々の精神を荒廃させる雑誌、言論を世間にバラ撒いています。

他人のプライバシーを覗き見て喜び、成功者を引きずり降ろして勝ち誇り、時には死体や女性の体まで売り物になる。
そのような他人の不幸を楽しむ雑誌や言論は最低であると言っても良いでしょう。

このような雑誌、あるいはテレビ番組を通じて、人々の心は知らず知らずのうちに蝕まれていっているのです。
人間の本質である心が、その精神が侵されているのです。
そして、人々の心は堕落してゆき、享楽的・退廃的な様相を呈しています。

そう、彼らマスコミは極めて根本的な部分が判断できていないのです。
それは善悪の判断です。そして、善悪は元々人間が分かつものではないということを知らねばなりません。
また、自由には方向性が必要です。神に向かう精神の自由か、地獄に向かう欲望の自由か。
この選択を誤った時から悲劇は始まったのです。

未来に向けて高度な文化を!

「ペ ンは剣よりも強し」という言葉がありますが、現代社会はまさしくその通りであると痛感させられてしまいます。
それはなぜか。剣であれば、自分が狙いを定め た特定の相手しか傷つけることはできませんが、ペンの怖いところは、自分の意思や狙いとはまったく関係なくとも、言論機関を通じて不特定多数の人々に影響 を及ぼすことができてしまうからです。

質の高い情報を人々が幸せになる方向で伝えていけば、社会はより高度でより調和された方向に向かうのでしょうが、そうでない場合は、まったく逆の道を歩むことになります。そして現代の日本は後者の道を歩んでいるように見えます。

こうした事態は、ある意味で人々の精神を曇らす「精神的公害」そのものなのです。
では、私たちはどうすべきなのでしょうか。
現代社会において「情報」というものは非常に大事なものになっていますから、その情報源をすべて遮断するということは、社会的孤立につながっていきます。

故にこの「精神的公害」への対抗手段としては、情報の質そのものを変えていくしかないのです。
そして正義に目覚めた人が数多く出現することによって、悪しき 言論の需要をなくしていき、供給そのものを滅していくことが、未来に向けて、高度に知的でかつ洗練された文化を創造していくために大事なことではないかと 考えます。


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無宗教国家日本の敗北

マスコミが現在のように暴君と化した背景には、唯物論・無神論の蔓延があります。
では、なぜこのように唯物論・無神論が蔓延することになったのでしょうか。

それは、戦前・戦中からの「皇国史観」が先の大戦によって敗れ、「神国ニッポン」が解体される過程において、国家の精神的主柱である「宗教性」が日本から抜き去られたことにあります。
確かに、「神国ニッポン」は敗れはしましたが、
それは「日本神道を利用した日本軍」が敗れたということであって、決して宗教そのものが敗北したということではないのです。

にもかかわらず、極端な宗教性の中で悲劇を味わった国民は、宗教を日本から排除する方向に努力してきたかのように見えます。

そうした国家の精神的主柱を失った日本人の心の隙間を埋めたのが、逆に戦前・戦中に政府から弾圧された「マルクス主義史観」でした。
宗教が駄目なら今度は唯物論で、ということだったのでしょうか。

こうして国家の舵は極端から極端へと、再びその針路を変更していったのです。
そして、戦後五十数年間、日本人は宗教なき、神なき時代を過ごしてきました。
その間、確かにひとつの繁栄をその歴史に刻みはしましたが、その結果どうなったでしょうか。

学校ではいじめが流行し、世間では異常犯罪が増加し、中学生や高校生が「援助交際」として売春を行う「獣の社会」になっています。こうなった責任は、それらをセンセーショナルな記事や報道で助長したマスコミ、マスメディアにもありますが、その根本の原因は、戦後の唯物論教育にあります

人間はひとりで大きくなっていくわけではありません。
人間は個人的な存在であると同時に社会的な存在でもあります。
人間が生まれ落ちて、白紙の状態から社会化(socialize)されていく過程において最も重要な役割を果たすのは、家庭と学校教育です。

とくに学校教育においては、宗教性がまったくと言って良いほど取り除かれた形での唯物論教育がなされてきました。
そして、宗教というものを、ある種いかがわしいものであるかの如く封じ込めてきました。
その結果、人間の尊厳を知らず、互いに愛し合うことの大切さを知らず、エゴイスティックに生きる人間を大量に生み出すことになったのです。

統一教会やオウム教などのカルト宗教によって、「マインドコントロール」という言葉がクローズアップされましたが、これは何も宗教の世界だけにあるのではありません。
会社組織やその他社会的集団、そして国家においてもあり得ることなのです。

そして私たち日本人は、
「戦後の唯物論教育こそが最大のマインドコントロールである」
という、戦後最悪の逆説
に気がつかねばなりません。

この世は神々の統べる世界です。そして、あの世は実在します。
そしてその実在する世界の価値基準やヒエラルキーを宣べ伝えているのが正しい宗教なのです。
その正しい宗教に蓋をした結果が、現在のような有様です。

このような堕落・退廃した社会の姿を露呈するに至り、無宗教・唯物論が人間を、そして社会を幸福にしないということを証明したと言っても良いでしょう。
無宗教国家日本はここに敗北
したのです。


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ユートピアの条件

この約一世紀の間に、極端な宗教性と極端な唯物論の中に日本人は身を置いてきましたが、そのどちらの道にも人間を幸福にするシステムは見出せなかったということを歴史から学んだ私たち日本人は、両極端を去り、今こそ中道の道に入るべき時ではないでしょうか。

その中道の道とは、大いなる存在への畏怖と畏敬の念を持ち、己を虚しくして神々の願い、理想とは何かということを真摯に問い続けることだと思うのです。
そして、さらに真の理想国家を建設していくということなのではないかとも私は思うのです。

「神などいない」、「あの世などない」と思うからこそ、人は傲慢になり、為政者は権力欲、支配欲に駆られることになります。

トマス・モアの『ユートピア』では、ユートピアにおける宗教について、寛容性をもって様々な種類の宗教が認められ信仰を持つことが基本とされているけれども、無神論者は軽蔑の対象となっています。

人間と動物を分かつもの、それはいったい何でしょうか?
道具を使う、物を作る・・・そういったこともあるでしょう。
しかし、私は「動物と人間を分かつものは『信仰心』の有無である」と考えます。

バブル期の日本人は「エコノミック・アニマル」とよく揶揄されました。
欧米の人々は、精神的バックボーンなしに海外マネーを貪欲に貪り食らう日本人の姿を動物の姿に重ねていたのでしょう。そして「お前たち日本人は何者なのだ?」ということを実は問うていたのではないでしょうか。

人 類の歴史を見れば、キリスト教、イスラム教、仏教、ユダヤ教・・・など宗教の違いはあれども、信仰を持つ人々が圧倒的に多数派であることは動かしがたい事 実であり、外国では相手がどのような「宗教」を信仰しているかを知ることが、相手を理解する重要なファクターとなっています。

たとえばホテルの予約シートに「宗教(Religion)」の記入欄があったり、その他いろいろな書類に同じく「宗教」の記入欄があるという話を聞きます。それほど生活に密接に宗教が根ざしているのが世界の常識というか主流派なのです。

つまり、「宗教」、「信仰心」というものが、人間としての共通項であると言えるでしょう。
そうであるならば、私たち日本人が目指すべき理想国家とは、この「信仰」というものが立脚点になくてはならないと思うのです。

ただ、「信仰」と言いましても、私は盲目の信仰に対しては警鐘を鳴らしたいと思います。
「人間性を向上させ、人生を豊かにする宗教とは何か」、ということを真剣に考えたうえで、正しい宗教選択をするべきだと考えております。

そうした意味において、神々の理想に沿った信仰心を取り戻せることができるのならば、キリスト教であれ、仏教であれ、日本神道であれ、あるいは新興宗教であれ、その種類は問いません。
むしろ宗教が互いの違いは違いとして認めつつも尊重し合い、いかに人間を、世界を幸せにできるかという一点において切磋琢磨することが、巡り巡って私たちに還元されるベネフィットとなると考えるものです。

また、その過程において人々を幸せにしない、はっきり言えば人間性を狂わせる危険な宗教も自然淘汰されていくはずだと思っております。

いま求められる新たな鎮護国家の思想

国家の繁栄は正しい宗教の繁栄から始まります。
聖徳太子の時代、そして聖武天皇の時代しかり。
とくに聖武天皇の時代には、争乱、飢饉、干ばつや地震などの天変地異が相次ぎ、鎮護国家の思想へと繋がり、有名な東大寺の大仏建立へと至ります。

次々と襲いかかる災難に人々が苦しむのをご覧になり、聖武天皇は、
「責めは予(われ)一人に在り。」
つまり、「自分の政治に問題があるからこのような天変地異が起きるのだ。責任は私一人にある」と語ったそうです。

今の政治家にこれほどの謙虚さと責任感があるのだろうか。
天皇というお立場にもかかわらず、これほどの為政者がかつて日本にも存在したことを私は誇りに思います。

プラトンの『国家』には政治家の理想像として、哲人政治家、哲人王が掲げられています。
すなわち、政治家が哲学を学ぶか、哲学者が政治家にならなければ国民は幸福になれないという主旨のことが述べられていますが、聖武天皇とはまさにこの「哲人王」ではなかったか。

日本神道の最高神官でありながら、仏教を学び帰依するという世界の常識から見れば非常に衝撃的なことも、
「国を、民を救いたい」という救国の心の前では些細なことだったのかも知れません。

現代の日本も聖武天皇の頃と状況が似ている。
火攻め、水攻め、地震攻め。そして相次ぐ流行病・・・。
いま新たなる鎮護国家の思想が求められているような気がしてなりません。

かつての聖徳太子や聖武天皇の時代、仏教とは当時の先進宗教でした。
果たして、いまその仏教に国を救う力はあるのでしょうか?

人類の『新たなる希望』とは

ギリシャ神話に有名な「パンドラの箱」の話があります。
「パンドラが神々から贈られた箱を、中を開けて見ることは許されていなかったにもかかわらず、その箱の蓋を開いてしまうと、中からありとあらゆる害悪が飛び出し、それ以降人類にはあらゆる災いが降り注ぐようになったが、唯一箱の中に残ったものがあった。それは『希望』であった」
という話です。

この闇深い時代において、私たち日本人が未来を拓いていけるか、そして理想国家建設の道を歩めるかどうかは、人間としての基本である「信仰心」を取り戻し、現代の『新たなる希望(A NEW HOPE)』を見いだせるかどうかにかかっていると、いま強く感じています。

私たちは過去や現在の時代にだけ責任を負っているのではありません。
未来に対しても責任があるのです。
つまり、未来の人類に対していかなるものを遺していけるかという意味において責任を有しているのです。

そして、未来の人類に対する贈り物は、理想国家のモデル、繁栄のモデルを遺すことです。

未来は理想の上に築かれていきます。
青臭くても良い。理想を追い求める人が数多く出現することを願ってやみません。

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【再掲】アジアの盟主としての責任を果たせる国へ [政治]

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※元記事:2012年10月2日分の再掲載です

竹島・尖閣問題に揺れる日本。

韓国、中国ともタッグを組んで領土問題を仕掛けてきています。韓国大統領アキヒロの一連の言動は、一国の代表として、
非常に非礼かつ厚顔無恥で許し難い暴挙、暴言の数々許すまじ。

しかしながら、同じ領土問題といっても、竹島と尖閣は、
少々意味合いが異なるのではないかと私は考えています。

というのも、竹島問題は、あくまで竹島の領有権そのものの議論です。
まあ、対馬も韓国人に土地を購入されて危ないと言えば危ないのですが、
いずれにしても「島を万引きしにきている」という感じです。

けれども、尖閣問題と言うのは、単に尖閣諸島の領有権だけの問題ではありません。

中国共産党は、この尖閣を起点として、沖縄、台湾を本気で取りに来ているのです。
彼らの国家戦略である、第一列島線の支配、そして第二列島線の支配。
この野心の一端が尖閣に現れているのです。

日本はおろか、太平洋諸国を実質的に植民地支配することが中国の野望
あることは、もはや疑いの余地がないことであり、中国もすでにその野望を
隠そうとせず、牙を剥いてきています。

その証拠に、中国の教科書では、尖閣は沖縄の領土であることを認めていますが、
その沖縄、いえ琉球王国は日本によって「不当に侵略」され続けており、
元々中国の属領であった琉球の同胞を解放せねばならない、
と教えられているようです。

琉球と台湾王朝も一括りにする乱暴な「学説」もあるようですので、
尖閣、沖縄を取る前に、台湾併合が先に実現するかも知れません。

韓国は昔の日韓併合の腹いせに、島を盗ってやろう、ぐらいのコソ泥根性
なのだと推察されますが、中国の場合は国家規模の窃盗団であり、
この点において韓国と中国とでは、スケールが違うのです。

下手をすると、中国と組んで日本を脅していたつもりが、
いつの間にか、韓国が中国の新たな自治区になってしまう可能性も、
まったくないとは言えない状況だと思われます。

このような、日本消滅の危機に当たって、日本が取るべき国家戦略は、
まず第一に、日米同盟をより強固なものとすること。

そして、同じように中国の覇権主義の危険に直面している、
東南アジア諸国、そしてインド、オーストラリアまで含めた、21世紀版の
東南アジア条約機構(The Southeast Asia Treaty Organization, SEATO)
を改めて創設すべきであると提唱致します。

SEATOに加盟するに当たり、やはり重要なポジションは日本とアメリカが
担うことになるはずです。

そうであるならば、日本もきっちりとした軍事力を持ち、
アジアの自由と繁栄を守る気概を示すことが肝要だと考えるものです。

日本が軍事力を増強することで、ギャーギャー騒ぐのは、
お隣の韓国と中国ぐらいのものです。

ですから、韓国、中国とは今後、政治的にも経済的にもお付き合いは
「ほどほど」にしておいて、その他の東南アジア諸国との繋がりを強化する方が、
長い目で見て、日本の国益にも適うことでもあるし、アジアの繁栄にも寄与できます。

経済大国として先の敗戦から復活した日本に対して、東南アジア諸国が期待するのは、
実は謝罪し続けることではなく、アジア諸国を軍事的脅威から守り、
自国を繁栄へと導いてくれるリーダーとしての役割なのです。

以前、マレーシア元首相マハティール氏の著書を読みましたが、
東南アジア諸国にとって、日本という国はまさに「希望」そのものであった、
という主旨が書かれていました。

敗戦からの奇蹟的な復活を遂げた日本を見て、「ルック・イースト」
合言葉に頑張ってきたそうです。

日本が侍精神で国家としての気概を取り戻し、
アジアの盟主として、自由と繁栄の砦となことを願うものである。

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【再掲】民意の耐えられない軽さ [政治]

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※元記事:2010年7月12日分の再掲載です

参院選が終り、ひとつの民意の判定が出ました。
民主党の惨敗が、直近の民意であると。
ともかく民主党が衆院・参院過半数を占めるという、最悪のシナリオが回避されたことに対し、
ひとまず胸をなでおろす気持ちです。

ただ、やはり気になるのは相変わらずの投票率の低さです。
12日発表の総務省の報告によれば、今回の参院選の投票率は選挙区選、
比例選ともに57.92%とのことです。

低い。低すぎです。
「自社さ」連立政権下で行われた95年は過去最低の44.52%だったこともあるようですが、
今回の投票率には半ば予想通りとはいえ、ガッカリです・・・。

「政治に不満がある」、「政治家が信用できない」、「政治不信だ」という意見、ごもっともです。
しかしながら、政治は民意のバロメーターです。

その政治がおかしくなっているのは、我々が政治に関して、
あまりにも無関心になり過ぎていること。
そしてたとえ関心はあれども、政治をスポーツ・芸能ネタと同列に扱うメディアに翻弄され過ぎていることに大きな要因があると思えるのです。

「政治に怒りを感じるから投票を棄権する」とか「選挙に時間を取られるのがもったいない」、「そもそも投票に行くのが面倒」という方々に対して、私ははっきりと間違った考えであると言いたい。

先日のエントリーでも申し上げましたが、投票を棄権するということは、どのような政治を行われても文句を言えない、あるいは言う資格がないということを改めて訴えさせて頂きます。

私の母は自身の支持政党に一票を投じられることに大きな期待を持っており、具体的に国政へ参加することに誇りを持っていたと思います。今回も選挙を心待ちにしていたと言っても過言ではないでしょう。
しかし、そんな母は現在、脳梗塞で倒れた影響による半身麻痺の状態で選挙どころではありません。
その心中を察するにさぞや無念だろうと思います。

しかし、今回投票しなかった有権者の4割の方々は、
みなさんがこのように病気や怪我などで身動きが取れない状況ではなかったはずです。

投票に行こうと思えば、
その満足に動く足で、期日前投票を利用していつでも投票所に行けたはずです。
その満足に動く手で、投票用紙に自分の意思を書くことができたはずです。
投票を棄権するということは、ある意味国民であることを棄権していると同意です。

「本物の政治家が出てこない」、「リーダーシップを持った政治家がいない」、と嘆く前に、私たち国民一人ひとりの政治に対する意識を変えなければなりません。

国政を変えていくには「質と量」の両方を高める必要がある考えます。
「質」とは何であるか。それは政治に対する見識を高めることです。
「量」とは何であるか。それは政治に参加する人たちを増やすということです。

ですから、もし政治や政治家がどうしようもない状態に見えるとすれば、
それは我々国民の政治に対する姿勢や見識といったものを鏡写しにされていると思ってください。

軽い民意からは軽い政治家が出てきます。
質の高い政治家を排出したければ、見識と投票という2つのハードルで政治家を育て上げていく、ということが民主主義を衆愚政治に堕落させないために必要な考え方ではないかと思います。


・・・今回は元々「千葉法相続投」の件について書くつもりでタイトルをつけたはずが、なぜだかまったく違う内容になってしまいました(笑)。私の中の抑えても抑え切れない心の声が表面化してしまったのだとご理解ください。


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【再掲】文明の衝突の行方 [政治]




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※元記事:2010年10月22日分の再掲載です

ベネズエラ大統領、イランを訪問 
2010年 10月 19日(火曜日) 18:24 Iran Japanese Radio

ベネズエラのチャべス大統領がイランを訪問しています。
IRIB記者の報告によりますと、チャべス大統領は、高等使節団を率い、2日間の予定でイランを訪問しており、この中でアフマディネジャード大統領と会談しました。
チャべス大統領は、これに先立ち、ロシアとベラルーシ、ウクライナを訪問しました。
チャべス大統領のイラン訪問は、今回が9度目となります。



イラン、パキスタン、北朝鮮、このあたりは軍事、核技術などで大変つながりが強い国々で、
その背後には時代錯誤の覇権主義国家である中国がいます。

スターウォーズで例えると、イランや北朝鮮がダース・ベイダーや、ダース・モールだとすると、
「皇帝パルパティーン」が中国です。
この勢力がいわゆる「帝国軍」。

アメリカを中心とした自由主義国側が同盟軍といったところでしょうか。

いま、紛争が起きる可能性が高い火薬庫が、東アジアと中東の2ケ所あります。
どちらもアメリカにとって重要な場所です。

もし、中東と東アジアの2ケ所で同時多発的に「有事」が発生した場合、アメリカはどちらを取るのでしょうか?
同盟国がいるアジアか、イスラエルのどちらを取るかということです。

イランがだんだん中東の盟主としてのポジションを固めつつあるように見えます。
イランのアフマディネジャド大統領はエルサレム奪還を明確に国家戦略としているようです。
アラブ諸国も決して一枚岩ではありませんが、「反米」、「対イスラエル」ということでは大同団結する可能性が極めて高いのです。

そんなアフマディネジャド大統領と、同じく反米の急先鋒である、ベネズエラのチャベス大統領との蜜月が続いています。また、ベネズエラは中国とも仲良しです。

チャベス大統領といえば、以前国連の席でブッシュ大統領を公然と「悪魔」呼ばわりしたことがあるので、ご記憶にある方もいらっしゃるのではないでしょうか。

こうして、着々と反米勢力による連合国が形成されつつあります。
しかし、「反米」を旗印にまとまっている時はうまくいくかも知れませんが、いずれ中華思想とイスラム教の「文明の衝突」が起きる可能性があります。

その歴史から見た民族性からして、血で血を洗う殲滅戦になることも有り得ます。
つまり、戦術核を使用するというシナリオです。

まあ、中国とアラブ諸国が衝突する前に、アラブ諸国とイスラエル、アメリカとの戦争が起きる可能性の方が高いでしょうから、ここで先に核兵器が使われる可能性もあります。

この時代的な潮流というものはなかなか止めることはできないかも知れませんが、シナリオに手を加えることはできるかも知れません。
私は、そのキーポイントになるのが、「中国」なのではないかと思っています。

アジア、中東、南米による悪の枢軸という構図を未完で終わらせるには、中国包囲網を敷いて、他の反米諸国から切り離すことです。

あとは、イスラエルという国がどうなっていくか。
これも世界平和にとって重要な意味を持っていると言えるでしょう。

アフマディネジャド大統領が言う通り、イスラエルというユダヤ人国家がなくならない限り、イスラム教文明と、アメリカを中心とする西欧文明の確執はなくならないかも知れません。

しかし、たとえイスラエルという国家がなくなったとしても、次にやってくるのは聖地エルサレムを巡っての終りなき民族紛争の時代だと思うのです。

人類はかなりの難問を突きつけられているようです。
このような世界の舞台で日本が果たす役割は小さくはないと思います。
いや、むしろ日本がどう動くかによって、シナリオを大きく書き換えることもできるのではないかと思っています。

ですから、自分の国を自分で守ることすらできない「異常な国」から、普通の国に早く変わらねばならないのだと思うのです。

尖閣諸島での「現代の黒船」事件ごときで右往左往している場合ではありません。
人類の歴史を大きく左右するかも知れないターニングポイントに立っているのだ、という時代認識を日本の政治家の方々にも持って頂きたいと思います。
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【再掲】夢はでっかく、宇宙太陽光発電! [政治]

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※元記事:2011年9月29日分の再掲載です

日本、フランスで原発事故が起きて、
世界的に「脱原発」といううねりが醸成されつつあるようですが、
冷静に考えると、短期的には原子力エネルギーは必要だということが分かると思うのです。

いまは原発推進派か、脱原発派か、
と白か黒かという感じで、何か中世の魔女狩りのような様相を呈している気がします。

しかし、ほんとうの意味で「推進」しているのは、ごくごく一部の方で、
大多数の方々は「容認」という言葉が妥当なのではないかと個人的に感じています。

震災、原発事故直後ですから、仕方がないことですし、むしろそうした議論が起こるのは、
ごくごく自然なことで、健全なことだと言えます。

しかしながら、少し極端に傾きつつあるような気がしてならないのです。
つまり、文明やテクノロジーを否定する方へ議論がすり変わってきつつあるように感じています。

そもそも、
文明というものは、人類が自然を克服する過程で進化してきたものです。

日本でもそうですが、文明というものは大河に沿って発達するケースが多いのです。
エジプト文明でもたびたびナイル川の氾濫に悩まされてきたはずです。
では、その氾濫対策で治水工事をすることを以て、自然破壊と見なすでしょうか?
もしかしたら、当時の保守的な学者や知識人は反対したかも知れませんね。

震災後、花見の時期に都内の公園で桜のライトアップをせず、
「夜桜中止」となったことについて、お天気キャスターの石原良純氏は、
「そもそも、夜桜なんて見る必要がない。江戸時代とか昔はライトアップなんてされていなかった。」
というような主旨の発言をしていたと記憶しておりますが、
毎年、彼が夜桜をバックにお天気中継をして、「実に綺麗ですね~」という発言をしていたのは、
一体なんだったのか(笑)。

また、これはかなり前から議論があることですが、
季節感が希薄になってきたことについて、
「温室で野菜や果物を作るから季節感がなくなる。やめてしまえばいい」
という意見があり、震災後のテレビでコメンテーターの一人がまさにこの発言をしていたのを、
見てしまいました。

では、寒い時期以外は、イチゴが乗ったショートケーキや、タルトが食べられなくても文句言わないでくださいね。

先ほども文明の根源について少し触れましたが、
自然を克服し、より快適に、より便利に暮らせる社会を目指し続けたからこそ、
文明の発展があった
わけです。

「太陽が沈んだ後も明るいところで本が読みたい」
「真夏に冷たいものを食べたり飲んだりしてみたい」
「足腰が強くないけれど、各地を旅して周りたい」
という欲求が昔の人にはあったはずです。
それが進化・発展の出発点にもなるのです。

もし、そうした快適さ、便利さを否定なさるのであれば、
電気もガスも水道も、車も電化製品もかなぐり捨てて、縄文時代、弥生時代へ帰りなさい、
と文明否定論者に申し上げたい。

いや、火を使うと二酸化炭素が発生して、地球温暖化が促進されるそうですから、
火も使ってはいけません(笑)。

文字通り、野生動物と同じレベルの魅惑的な楽園生活が待ってますよ?
そこまでする覚悟があって初めて文明を否定できるのです。
上辺だけの感傷的な発言を公共の電波で撒き散らすのは辞めて頂きたい。

ついでに申しますと、
かつての左翼運動家の方々は、行き場をなくして、
最近では環境問題に熱心に取り組んでいらっしゃいます。
これは世界的にも言えることで、グリーンピースやシーシェパードを見ればよくわかります。

左翼のトレンドはズバリ「環境」なのです。
これがどうも彼らの間ではクールなことのようです(苦笑)。

まあ、それはそれとしましても、
エネルギーというのは、文明のコアの部分であり、
決して手放してはいけないもの
です。

いずれにしても、エネルギーの分散化というのは、将来を見据えた国策として、
積極的に取り組まねばなりません。


日本領海内の海底ガス田、油田の探査、研究も然りですし、
水素エンジンとか、太陽光もそうでしょう。

まだ記憶に新しいとは思いますが、ソフトバンクの孫正義氏が、
メガソーラー発電計画をぶち上げ、会社の定款に電気事業を加えたとか加えないとか。

私は孫正義という人間を尊敬していますが、この太陽光発電構想には疑問符です。
まず、発電効率の問題があり、蓄電が難しい以上、太陽が沈む夜間の時間帯がネックです。
ですから、ビジネスモデルとして成功するかどうかは難しいと言わざるを得ません。

太陽光発電に関しては、個人的には、以前から
宇宙太陽光発電が次世代エネルギーのエースになり得ると思っていましたし、
ことあるごとにそうしたことを友人、知人に語ってもきました。

宇宙太陽光発電とは、
文字通り、太陽光発電を宇宙で行う、というものですが、
宇宙太陽光発電のメリットとしては、昼夜の区別なく、天候にも大きく左右されることなく、
24時間、安定して発電可能というところです。

確かに、想定されるデメリットや懸念事項もなくはないのですが、
原子力もダメ、CO2排出するのもダメ、
ということを前提に考えると、現状の技術の発展形である、
この宇宙太陽光発電を本格的に研究、開発した方が良いと思っていました。

安価で安全なエネルギーを手にいれれば、
バカ高い化石燃料を産油国のご機嫌を伺いつつ購入させて頂く必要も減ります。

EV(電気自動車)を普及させてしまえば、原油価格の高騰に頭を悩ます必要もなく、
通勤やドライブに出かけることができるのです。

ソフトバンクの電気事業参入について、世間ではいろいろ言われていますが、
孫正義氏が電気事業に参入を目指した目的というのは、
私個人としては、インターネットのインフラを手に入れることだと推察しております。

現在、インターネットというのはADSLにしても、光ファイバーにしても、
大部分がNTT(あるいは前身の電電公社)の資産を活用して、提供されています。
これについては、各通信事業者が活用するために、インフラのレンタル料金をNTTに支払っているわけです。
この点が何度も孫正義氏が総務省、あるいはNTTにケンカを吹っかけた所以なのです。

そして、現在各家庭まで有線で提供されているインターネットは、
その殆どがワイヤレスで提供される時代になるはずです。
それもごく近い将来、必ずそうなると確信しております。

Wi-Fiを中心とした無線方式での提供が主流になるかも知れませんが、
もう一方で、既存の電力線を使っての有線インターネット通信というのも模索されています。

読んで字のごとく、全国各地に張り巡らされた送電網を、通信網にしてしまうというものです。
この技術の確立・普及により、光ファイバーがなかなか敷設されない地域であっても、
高速インターネットが可能になるという大きなメリットがあります。

これは、すでに小規模においては、PLCとして実現されており、家庭内LANを組む際に、
従来の有線LAN、無線LANに加え、第三の方式として提供されています。
我が家もこのPLCモデムを導入して、快適にネットライフを送っています。

こうした背景を知っていると、孫正義氏が電気事業に乗り出したとしても、
「??」と首を傾げないで、むしろ「なるほど!」と思えます。
決して信条がブレたのではなく、あくまでも電力網という次世代の通信インフラを手中に収める、
という彼の覇道の一環に過ぎないのだと喝破できます。

ちなみに、将来的には家庭内の電力供給もワイヤレス化される時代が到来します。
子供や孫の時代あたりにあると、コンセントだとか、電気のコードとか言っても通じなくなるかも知れません。
「不便な時代だったんだね」と一笑に付されるかも知れません。

また、宇宙太陽光発電には、ある隠されたメリットがあります。
それは、宇宙にある発電設備の角度を、ちょこっとだけ変えてあげると、
途端にマイクロ波兵器に早変わりします。

中国、ロシア、そして北朝鮮、と核保有国に囲まれている日本にとっては、
核兵器を保有しなくても核抑止力を手にできる好機でもあります。

こんな話を出すと、途端にきな臭くなりますが、
文明の利器というものは、何でも所有者・使用者の意識次第で武器になってしまうのです。
ダイナマイトや核エネルギーもそうですし、身近なところでは、
カッターナイフや包丁という便利な道具ですら、殺人事件の凶器となりえます。

新しい技術に対して、デメリットや環境、人体への影響というものをよくよく研究するのは良いですが、
それがために新しい可能性を潰してしまってはならないとも思います。

ご存知の方も多いかも知れませんが、孫正義氏は明治維新の立役者である、
坂本龍馬を尊敬してやまない人で、アメリカに留学したのも龍馬の生き方に共鳴したからです。

さらに、現在のソフトバンクグループのロゴであるは、
龍馬の海援隊の旗印をモチーフ、というかそのまんまなのです(笑)。

なので、孫氏がメガソーラー発電を提唱した記事を見た時は、
天国にいるであろう、坂本龍馬ならどう言うかな、と思わず考えてしまいました。
龍馬ならば、↓のように言うかも知れません。

孫さん、ゆうちゅうことがこんまいぜよ。
太陽光発電は確かに、えいけれども、
どうせならもっと大きゅう構えんといかんちや。

これからの時代は宇宙ぜよ、宇宙。
それなら、太陽光発電も宇宙でやったらえいがぜよ。

それに、もし日本を脅す国があったら、
「これでズドンぜよ!」
と言い返したら、それで終わりやき。

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【再掲】これからの「核」の話をしよう [政治]


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※元記事:2011年2月20日分の再掲載です


愛すべき平和ボケ国家日本も、近年の北朝鮮問題、中国の軍拡等の問題により、やっと危機意識を持ち始めたかな、という感じはありますが、緊迫する世界情勢からすれば、まだまだ悠長なまどろみの中にどっぷりと浸かっているような気がしてなりません。

「核なき世界」「核兵器廃絶」という言葉は、確かに純粋で理想的な響きがあります。
私も理想は「核なき世界」であることは否定しません。

しかし、現実を見れば米露間の核兵器の数を減らそうという動きと逆行するかのように、核兵器保有国は増え続けています

翻って日本を見てみると、このような状況をニュースで淡々と伝え、核兵器廃絶の理想論を垂れ流すだけで、現実的な議論をタブー視し続け、事実上「核保有の議論を封殺」してきました。

平和主義者の方々が仰るような、
「武力放棄して平和憲法を堅持すれば、他国から攻撃されることはない。むしろ武力を保有しているからこそ敵視されるのだ」
という見解は正しいのでしょうか。

しかし、このような考え方が「お花畑思考」であることは、現実に即して考えて見ればよく分かります。
たとえば、なぜ警察という存在があるのでしょうか。なぜ銀行には防犯設備、ガードマンがいるのでしょうか。なぜ人は住宅に鍵をかけるのでしょうか。

平和主義者の考え方を借りれば、
「住宅に鍵がかかっているから、侵入したくなるのだ」、
「ガードマンがいるから挑戦したくなるのだ」、
「警察が存在するから、権力に反抗したくなるのだ」
ということになります。

また、こうした平和主義者の方はしばしば、国連という場で話し合いですべて解決すべき、という国連中心主義とも取れる主張をされることもあるようです。

しかし、国連というものをよくよく考えてみると、
第二次世界大戦の戦勝国が常任理事国であり続けている組織です。

加えて、常任理事国であるアメリカ、イギリス、フランス、ロシア、中国の五ヶ国はすべて軍隊を保有しているのみならず、それぞれが核兵器保有国であるという事実から目をそらしてはなりません。

ついでながら、国連決議をしようとしても、常任理事国だけが持っている「拒否権」という特権によって、国連が国際紛争の最終解決の手段とならないことは最早隠しようがありません。
常任理事国間のイデオロギーの相違、あるいは各国の国益の立場等から既に国連は機能不全に陥っていると言っても過言ではないのです。

国際政治というものは、なんだかんだ綺麗事を言っても、パワーバランスのもとに成り立っていると言えるでしょう。

では、そのパワーの源は何でしょうか。
私は、「経済力」「軍事力」だと思うのです。

これをよく理解せずに日本は常任理事国入りを熱望してきました。
同じように常任理事国入りを目指している国にドイツがあります。
ドイツも核武装していないではないか、という指摘もありそうですが、実はドイツも核保有国なのです。

ドイツ自身が核兵器開発したわけではありませんが、NATO加盟国として、アメリカから核兵器の提供を受ける、という被ニュークリアシェアリング国家なのです。NATOでのニュークリアシェアリングを受けているのは、他にベルギー、イタリア、オランダがあります。
(日独伊三国同盟のうち2ケ国が保有国である点が興味深い...)

さらに、こうした国連常任理事国や、NATOニュークリアシェアリング国家以外にも、インド、パキスタン、イスラエル、そして北朝鮮が既に核兵器を保有しており、これからイラン、サウジアラビア、エジプトが核兵器保有・開発を目指しています。

このように、核兵器保有国は拡散傾向にあるのが世界の現実です。
こうした現実を踏まえて、果たして日本の「非核三原則」で国を守れるのか、また「核議論」をタブー視し続けることが安全保障上、健全なことであるのか甚だ疑問に思えるわけです。

軍事力や核兵器は抑止力とはならない、という考えもありますが、核兵器保有国はなぜ増え続けるのか。
現実を直視して、これを真剣に考えなければならないと思います。

また私自身、こうした国々は一体何の資格、権利があって大量殺戮兵器である核兵器を持っているのだろうか、と考えることがあります。

核兵器を保有する資格、権利という観点から見れば、
現在保有国はみな失格です。

正当な保有権利があるのは、
唯一の被爆国である日本だけ
なのです。

「日本は世界で唯一の被爆国であるからこそ、核兵器の悲惨さを知っているのだ。その悲劇を繰り返したくないだけだ。あなた方は一体何の権利があって核兵器を保有しているのだ。」

と言えば、もし日本が核武装したとしても、最終的に文句を言える国はこの地球上のどこにも存在しないのです。

以前のエントリーでも述べたことがありますが、陸海空の通常戦力と核兵器ではその性質が異なります。
通常兵器は「使用することを前提」とした戦力であり、
核兵器は「使用しないことを前提」とした戦力なのです。

つまり、「核兵器は最後の切り札」として、膠着状態を作り出すために存在します。
何千発も持っていなくても、数発、数十発持っているだけでも十分脅威と成りうるのです。
このように、お互いに切り札をチラつかせることで、膠着状態を維持するという意味において、やはり抑止力としての存在価値があるものと考えます。

「核」に対してアレルギー反応があるのは心情として理解できますが、その悲劇を二度と繰り返さないためにも、「核保有の議論」を自ら封印することは、極めて幼稚で、ある意味自殺行為だということを認識することが必要です。

軍事大国、核兵器保有国に囲まれた現状を冷徹に分析しながら、核兵器保有のメリット、デメリットをしっかりと議論し、もし保有するのならば自国で開発するのか、ニュークリアシェアリングを受けるのか。

また、保有しないのならば、「国防」というものをどう考えるのか。
日米同盟を堅持してアメリカの核の傘を享受し続けるのか、それとも中国の傘に鞍替えするのか、はたまたインドと軍事同盟を結ぶのか。あるいは地震兵器や電磁波パルス兵器など、一見トンデモな核兵器を超える次世代兵器を開発する道を選ぶのか。

いずれにしても、単なる理想論ではなく、
いかにして国民の生命と財産を守るか、という現実と真剣に向き合わねばならない時が来ているような気がしてなりません。

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【再掲】平和のための考え方 [政治]

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※元記事:2010年9月1日分の再掲載です

先日のエントリーで中国の軍備拡張についての懸念について触れました。
とくに海軍増強、なかでも空母建造計画についていよいよ具体化してきたことで、
日本政府もやっと重い腰をあげたようではあります。

中国のやる気満々のスタンスからすると、それでも心許ない気もするのですが、
大切なのは「やられたらやり返しますよ?」
というスタンスを取ることです。
ブラフでも良いので、ファイティングポーズを取ることです。
「手を出したら、そちらも無傷ではすみませんよ?」と思わせることです。
これが抑止力の原点であると考えます。

私はいたずらに中国や北朝鮮を仮想敵国とすることには慎重であるべきだとは考えますが、
同時に、一方的に脅されるだけでヘラヘラと言いなりになるしかない、というのも嫌です。

私は戦争自体はなくすべきだと思っていますし、平和を求める者でもあります。
しかし、現実的に戦争というものがなくならず、自国の周辺に、
核兵器と大規模な軍隊を所有する国が複数ある状況では、
自衛のために軍備を持つことは自然な流れではないのではないかと思うのです。

平和というものを考えるうえで、日本人として避けては通れない議論ですので、
様々な意見、解釈があることは承知の上で、「憲法9条」についての私見を簡単にではありますが、
述べておきたいと思います。

第2章 戦争の放棄

 
第9条 
日本国民は、正義と秩序を基調とする国際平和を誠実に希求し、国権の発動たる戦争と、武力による威嚇又は武力の行使は、国際紛争を解決する手段としては、永久にこれを放棄する。

 前項の目的を達するため、陸海空軍その他の戦力は、これを保持しない。国の交戦権は、これを認めない。


「憲法9条を世界遺産に」と言っているタレントもいるようですが、
理想論としてはその意見に賛成です。しかし、現実論として見るとかなり無理があると思うのです。

この戦争放棄の前提は、
「正義と秩序を基調とする国際平和」です。

つまり、周りの国がみんなすべて平和であり、正義と秩序に溢れている場合ということです。
翻って世界全体、いやアジア諸国だけとってみても、とてもそのような状態とは程遠いのではないかと思うのです。

そのような中で、日本だけが高貴な理想を追求し、軍事力を放棄して、
米軍もすべて追い出してしまうとどうなるか想像してみてください。

たちまち日本は中国、北朝鮮、ロシアなどの属国、いや植民地と化してしまうはずです。

私は問いたい。
安易なガンジー主義を唱える人々に。
「あなたが自国の守りをすべて捨て去って本当に平気だと言うのならば、
まず家やマンションに鍵をかけなくても、
泥棒などの犯罪者が絶対に侵入して来ないということを証明すべきです。
もし泥棒などの犯罪者がきても、自宅のドアに
は平和主義者です。いっさいの抵抗手段は放棄しています。
鍵もかけていません。
ですからあなたも罪を犯さずに立ち去ってください

と張り紙をしたら泥棒が手を出さないと本当に思えますか?」と。

かなり極端な例えに思えるかも知れませんが、私から見ると行き過ぎた平和主義者はこのようなことを平気で主張しているように見えるのです。

人を信用することは悪いことではありませんが、自分の不利益を回避するためにはあまり性善説に偏らない方が賢いのではないでしょうか。

国防についても同様です。
悲しいことではありますが、性悪説の観点から「常に最悪の状況を想定してそれに備えること」が国防の基本なのではないかと思うのです。

個人の単位だと犯罪はなくならず隣人さえも信用できない悲しい世の中ですが、国家の単位であれば無条件に相手を信用してOK、というのは論理が成り立たないと思います。

武力放棄を唱える方々は、まず自宅の鍵をすべて掛けないことから平和への第一歩を踏み出してください。もしそれができないなら、単純な武力放棄を唱えるのは遠慮して頂きたい。

あと、もう一点どうしても述べておきたいことがあります。
それは前述の9条の中で、
「陸海空軍その他の戦力は、これを保持しない。」
と明記されていますが、これをどう捉えるかです。

私自身は法律を専門に学んだわけではありませんが、この文章を見ると小学生や中学生であっても、矛盾を感じるはずです。
「自衛隊の存在ってどうなの?」と。

どのように解釈しようが、普通の感覚で素直に読めば自衛隊が違憲であることは明らかだと思っています。しかし、そこに目をつぶり詭弁を重ねてきたことに無理があったのだと思います。

ですから、私の現時点での結論としては、
「憲法9条は改正すべきである」という立場です。
憲法自体を現実に即したものに改正して頂きたいというのが私の願いです。

かつて社会党は自衛隊を違憲であると主張していました。
自衛隊不要論すらあったように記憶しています。
しかし、自社さ連立政権時に阪神大震災が発生するなど自衛隊の必要性を認める方向へ思想をチェンジせざるを得なくなりました。

ちなみに、阪神大震災発生時、当時の自衛隊最高指揮官である村山首相の自衛隊出動命令が数時間遅れたせいで、助かる命がかなり失われたとも言われています。

さらに、日本に米軍基地はいらない、あるいは日米安保破棄という思想を持った方が多い民主党において、普天間基地問題により、「勉強したら抑止力が必要であることを学んだ」鳩山前首相や「自分が自衛隊の最高指揮官であることを知らなかった」菅直人首相も従来の主張とは真逆の「米軍基地は必要。日米同盟は重要」と言わざるを得ない状況に陥りました。

まるで、左翼主義者や国防音痴の方々を教育するために時代精神が用意した踏み絵であるかのようです。
しかし、現実論として国防というものを考えると当然の帰結とも言えるのです。

平和というものは戦争と戦争の間のことである、
という言葉もありますが、
私は「平和というものは、抑止力の均衡を維持する努力の結果である」
と考えています。

こういう言葉で表現すると、下手すると軍国主義者のように誤解されるかも知れませんが、真の平和というものを実現するためには段階が必要なのではないかと思います。

理想は全世界の人々が争うことの愚かさに気づき、お互いを尊重し合う平和な世の中です。
しかしながら、そこへ到達するにはまだいくつもの試練を乗り越えなければならないとも思います。
そのための第一段階と言いますか、最低限のこととして自分の国を守るということは極めて普通のことです。

「攻めもしないが、攻めさせもしない」
これが、私が国防というものを考えるときに常に念頭にある考え方です。
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