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混迷の漂流国家ニッポン。政治の理想を追求すべく"新党ひとり"をバーチャル立党。それが『未来党(The Next Generation's Party)』。

奈良を訪ねて (1996年論稿) [政治]

『未来への提言』に引き続き、今回も『GREAT HERMES(グレート・ヘルメス)』に寄稿した記事をご紹介してみたいと思います。順序としては、『未来への提言』よりも前の記事で1996年、つまり今から14年前に大阪で仕事をしていた当時に書いたものとなります。

今年はちょうど平城遷都1300年ということもあり、タイムリー?な内容かも知れません。
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関西は歴史の宝庫だ。
とくに奈良は、大仏様がいるということで、一度訪れてみたい所ではあった。

奈良公園の近くに車を停め、大仏様がおわす東大寺まで、とても広い公園内をブラブラと散策してみることにした。この日は連休中。しかも晴天とあって、家族連れやカップル、そして修学旅行生で賑わっていた。

にもかかわらず、木立から覗く寺を見ると、不思議と周囲のざわめきが嘘のように心が落ち着いた。むしろ何かしら懐かしい気持ちになった。ちょうど、学生時代のキャンパスに戻ってきたような感覚だ。

「ひょっとしたら、昔この地に住んでいたことがあったのかな」なんて物思いに耽っていると、今度は鹿さんに出くわした。
「うわー、鹿だ。ホントにいるよ」
なんて妙な感心をしつつ、鹿を眺めていると、これがまた大人しいのなんの。人が近づいても平気な顔をしているし、子供が差し出した鹿せんべいを「ハムハム」と食べていた。ただし、僕には鹿がせんべいをもらって食べているというよりは、「食べてあげている」という風に見えたけど・・・。

そんなこんなで、歩道の両脇に並んでいるお土産屋さんを物色しながら歩いていると、やっとあの「東大寺南大門」の前に来た。門を通る時、ふと横に視線を移すと、金剛力士像が「くわっ」と睨んでいる。退治されちゃかなわんと、そそくさと通り抜け、大仏殿まで足早に歩いていった。

いよいよ大仏様とのご対面だ。
逸る気持ちを抑えつつ、階段を登っていった。

大仏殿の中に入って、まず一言。
「うわ、でっかい」
思わず口走っていた。

歴史の重みを感じさせる、その威厳漂う姿は圧巻だ。
さっそく歴史的背景を確認してみようと、ガイドブックをパラパラとめくっていると、一人の老僧が近づいてきた。

「お若いの。東大寺は初めてかね。ひとつわしが歴史を語って進ぜよう。」
突然のことに狼狽している僕にお構いなしに、老僧は大仏様を見上げながら、それでいてどこか遠くへ想いを馳せるかのように淡々と語りだした。

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老僧はかく語りき

それにしても、久しぶりにこの地を訪れたものよ。
もうあれから1200年ほど経つかのう。
今でも大仏様の開眼供養会(752年)の様子が目に浮かぶようじゃ。
全国から一万人以上の僧侶と、帝を始め皇族の方々が参列した、それはそれは盛大な供養会じゃった。

大仏様に、大きな大きな筆で眼が入れられた時は帝も涙を浮かべておられた。
わしもその時は感無量じゃったが、生きているうちに行基殿(688~749年 奈良時代の高僧で、大仏建立に尽力した)にも一目見てもらいたかったと思うとる。

また、民衆の喜びようもまこと言葉では言い尽くせぬものがあった。
何せ約10年の歳月と、当時の国民の2人に1人が参加した大事業(のべ260万人以上の人が働いた記録が残っている)じゃったからのう。

読経や鼓の音が鳴り響く中、まるで本当に毘盧遮那仏がそこに降臨されたかのような気になったのを覚えておる。おそらく皆も同じ想いであったろう。

確かに、大仏様の建立は財政的にも、技術的にも大変困難なことじゃったが、当時の国民の心を、またそれ以後もこの地を訪れる者の心を、慈悲と智慧の光で照らし、どれだけの人に仏の偉大さの一端なりとも伝え続けてきたかは計り知れんものよ。

そのことを考えると、当時大仏建立に携わった者たちは功徳を積んだと言えるじゃろう。
聞けば、いまこの日本に毘盧遮那仏が降誕されているそうではないか。
いま地上に生まれている者は幸いじゃと思う。
肉の身でありながら、本物の大仏様とお会いできるんじゃからのう。

されど、そなたたちの責任は大きいぞ。
仏の教えを、仏の偉大さを後世に伝えてゆかねばならん。

仏の教えは経典・仏典として遺されるであろうが、悟りの縁の薄い者にはこの大仏様や多くの寺院のように五感に訴えるものの方が良いこともある。悟りの縁がそこにあるわけじゃ。
そなたたちも、この大仏様のように、数多くの福音を後世に遺してゆきなされ。

ん、わしか?
まあ、名乗るほどの者でもないが、この東大寺の初代別当をしていた者とだけ言っておこうかの。
では、多くの者がそなたたちに期待しておるということ、ゆめゆめ忘れめさるな。


こう言い終わったかと思うと、フッと老僧の姿は消えていた。
呆然と立ち尽くす僕に、大仏様もこう語りかけてきたような気がした。


諸々の比丘、比丘尼たちよ。

よいか、

過去の人々を救うは、供養である。

現在の人々を救うは、伝道である。

未来の人々を救うは、布施である。

布施の精神が未来を拓くのだ。


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