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混迷の漂流国家ニッポン。政治の理想を追求すべく"新党ひとり"をバーチャル立党。それが『未来党(The Next Generation's Party)』。

みんなで分け合えば、できること。 [時事ネタ]

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M9.0 東北関東大震災 Day1~ [時事ネタ]

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3月11日金曜日の午後に発生した、おそらくは日本の歴史上最悪の大災害が発生。
東北関東大震災です。
マグニチュード9.0、想定外の大津波。

今も時々刻々と犠牲者の数が増え続けています。

私は1995年に発生した阪神淡路大震災の爪痕が消えていない、同年4月に、
当時務めていた会社の宮崎営業所から大阪営業所へ転勤しました。

私が赴いたのは、大阪の箕面という、自然がとても素敵なところでした。
震災の影響でなかなかマンションへの入居が出来ずに、ホテル暮らしが続くなど、
しばらくは不便なものでしたが、この周辺は大きな被害は出ていないようでした。

営業所のエリアが関西二府四県でしたので、もちろん神戸方面へも車で行きましたが、
あちらこちらで震災の被害というものを肌で感じて、震えがきたのを覚えています。

しかし、今回の巨大地震は大津波も伴い、街を破壊するだけではなく、
場所によっては、街そのものを消滅させるほどの被害であり、その意味で
阪神淡路大震災よりも被害が甚大なものになる、と発生直後に感じました。

私が現在暮らしている、埼玉県川口市もかなり揺れました。
確か震度は5強だったと思います。

発生当時、自宅マンション(鉄筋コンクリ・3階建)で「ミヤネ屋」を見ていました。
石原都知事が出馬会見をするというので、これから中継が始まる、
というタイミングで、地震が発生しました。

最初は緩やかな横揺れがあり、だんだんとその振り幅が大きくなっていき、
まるで船の上にいるかのような感じの揺れが、約30~40秒ほど続いたでしょうか。

いつおさまるかな、と思っていると、その大きな横揺れとは別の激しい横揺れが
同時に襲ってきたように記憶しています。
この時点でただ事ではないことは明白でした。

まず激しく揺れる46インチのテレビを手で押さえました(笑)。
実は、1年ほど前に地震の際にテレビを真っ先に押さえる夢を見ていて、
あまりのリアルさに、起きた後に嫁さんに笑いながら話していたのでした。
それが現実になったということです。

激しい揺れは2分ほど続いたのでしょうか。
いつまでも止まらない揺れに、鉄筋のマンションもあり得ないほどプリンのように揺れています。
窓に目をやると、外の電線も縄跳びのようにゆっさゆっさと大きく揺れていました。

テレビを手で押さえながら、私の脳裏にNZクライストチャーチの地震で崩壊した、
あのCVTビルの映像がふとよぎりました。

そうです。
「もうこのまま死ぬのか」
とまで覚悟したほどです。

正直、とても怖かったです。
幸い、電気、水道といったライフラインは無事でしたので、テレビにかじりつきました。
ガスは万が一のことがあるので、時間がたってから無事を確かめました。

すぐに都内で勤務中の嫁さんにメールをしたのですが、発生直後にメールの
やりとりができた以後は、連絡が取れなくなりました。

都内の被害は大したことはなさそうというのは、テレビでの情報で分かりましたが、
鉄道が軒並み止まり、揺れの大きさからすぐには復旧しそうにないと直感。

「車で迎えに行こうか?」
とメールしたも返信がありません。
無事なことは明らかなのですが、その後の連絡が取れないため、
とても不安ではありました。

そこで、近くに入院中の母の様子を確認し、18時頃に川口を出発して車で
嫁さんの職場まで迎えに行くことにしました。

しかし、道路はハイパー渋滞、といいますか、
歩いた方が早いほど詰まっています。

職場までわずか25キロほどの距離ですので、普段であれば、1時間30分ほど、
あるいは渋滞していても2時間ほどあれば到着する距離なのですが、
到着したのは明け方の6時でした。
12時間もかかったわけです。

向かう途中でカーナビのテレビで常に情報をチェックしていました。
そして度重なる余震も、渋滞で止まっている車内で幾度も繰り返し感じました。

そして、私が一番怖かったといいますか、背筋がゾクゾクときたほど、
底知れぬ怖さを感じたのが、明け方3時59分に発生した長野での震度6の地震です。

その直前にも福島か茨城あたりで大きな余震があったばかりでしたが、
一見関係なさそうな場所に連鎖するように発生したこの地震で、
「きた!」と感じました。

あれだけの大きな揺れでしたから、他の場所に影響が出なければいいな、
と思っていたのでした。

他の場所とは、関東直下型の地震、そして東海沖地震です。
どんどん震源が南下してきているのは、その後の経緯で明らかです。

このような時ですから、不安を煽りたくはないのですが、
「もうどこが揺れてもおかしくない」
という連鎖サイクルに突入しているような気がしてなりません。

ただ、買いだめには走らないでほしいと思います。
近所のコンビニ、スーパーに買い物に行っても、常に空っぽの陳列棚。

買いだめするのは、物資が豊富に供給されてからにしましょう。
いつ来るか分からない次の震災に備えるよりも、
いま物資を待ち望んでいる被災地の皆様のために譲りましょう。

また、首都圏でもお年寄りなどを中心に買い物難民が発生しているようです。
必要以上なものは買わずに、いま必要最低限なものだけを買うようにしましょう。
限られた物資を他人のことも考えずに奪い合うのは、
地獄の餓鬼の姿そのものです。

今日、明日暮らせる物資があるのであれば、
それ以上を求めることなく、本当に必要としている方に譲りましょう。

私から言わせて頂ければ、普段から防災対策していないからいけないのです。
私はここ数年、地震のことが常に頭にあり、わずかですが、水や食料の備蓄を
していましたし、LEDライトや充電池の用意もしていました。

2年前に車を買い換える際も、従来の2シーターの車から、
荷物も多く詰めるワゴンタイプの車に変えました。
理由の一つには、非常時に車中泊も可能なように、というのもありました。

また、現在携帯を2台所有(docomo、SoftBank)しており、これもいざというとき、
2台あればどちらかが通じる可能性があるし、またバッテリーも2台分あるのと同じです。
さらにどちらも予備バッテリーを用意しています。

もし、ライトや電池を探し回っている方がまだいらっしゃるのであれば、
家の中にDSやPSPといった携帯ゲーム機がないかどうか思い返してください。
暗闇ではとても明るい照明になってくれます。

また、携帯電話も照明代わりになります。
首都圏の輪番停電といっても、わずか3時間ほどの間です。
パニックに陥って電池や懐中電灯を探し求める必要はありません。

決して徹底的な対策とは言えませんが、私はこのように普段から心がけていました。
まさに「備えあれば憂いなし」です。

ぜひ、「物資が豊富に供給」されてから、防災グッズを本格的に備えてください。
今すぐ私たちができることは、
余計にモノを買わない。
節電を心がける。
ということだと思います。


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3月17日(水)近所のイオン。空っぽになった陳列棚・・・


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絶品シフォンケーキの楽時生(らじお) [時事ネタ]

河津のお菓子がおいしい喫茶店、「楽時生」のカードをスキャンしました。
営業時間や地図が載ってますので、参考にしてみてください。
伊豆急の河津駅から徒歩で10分くらい。

シフォンケーキ絶品です。
とくにプレーン!

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河津桜 Part2 [時事ネタ]

...Part1より続き

お土産屋さんや露店の引力圏にヤラれつつも、
やっとメインストリートである、川沿いの道...の入り口に到着。

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時間は大体12時くらい。
朝は雨混じりのどん曇りでしたが、ここにきてたまに薄日が射すように。
日頃の行いが良かったんでしょう、きっと(笑)。

川沿いの道はやや狭くなっていますが、ここでも露店がビッチリと出てます。
ウマそーな匂いがそこかしこから漂ってきて胃袋が刺激されちゃいます。

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それにしても、平日にもかかわらずスゴい人です。
そういえば、ワンコもかなり見掛けました。
「匂い」に反応しまくっている様が微笑ましいです。

しかし、河津桜ってホントにピンクが濃いですネ。
沿道に覆いかぶさるような桜が、まるでアーケードのようです。
夜桜もきっとキレイなのでしょう。
次に来る機会があれば、ぜひ夜桜も堪能したいと思います。

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桜と露店を堪能しつつ、歩いていると、
民家の前に看板が出ているのを発見。

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「楽時生」
と書いてラジオと読むようです。

しかし、外観は普通の民家のようなので、嫁さんと
「これ、お店だよね??」
と半信半疑な感じで、ゆっくりと侵入(笑)。

*ちゃんとメニューが出てました。ホッとしました。
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*お店の入口。おしゃれです。
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ここ、手作りお菓子がカウンターに置いてあるのですが、
マドレーヌとかシフォンケーキとか。
フレーバーもいろいろあってチョイスに迷います。

私は桜マドレーヌ、嫁さんはプレーンのシフォンケーキを選択。
残念ながら、写真撮る前に食べてしまいましたので、記録がナッシング。

しっかし、このシフォンケーキが絶品
フワフワとした食感で、クチの中でトロけてしまうのがたまりません。

もし、河津を訪れることがあれば、この「楽時生」でシフォンを味わってみてください。
あまりに美味しかったので、テイクアウトもしちゃいました。

*桜のアーケード
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*ひときわ巨大な河津桜。存在感が違います。
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*巨大な河津桜、その2
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*川の向こう岸の桜。日が当たってスゲー綺麗。DSC01798.jpg

オレンジ色の橋まできたところで、看板を見ると、
大体1.5キロぐらい歩いてきたようです。

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*川の両脇に桜が咲き乱れてます。空から見てみたい!
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結構歩いてきたにもかかわらず、まだまだ続いています。
さすがにこれ以上はキツいので、ここで引き返すことに。
ていうか、露店もここから先はないようなので・・・。

復路は、きた道をただ帰るのではなく、横に向かう道にも露店が立ち並んでいたので、
そこもチェックしながら帰りました。

お腹すいたので、途中いろいろと買い食いしましたが、
それ以外にも、かなりタダで配っていたので、遠慮しつつもパクパク頂きました(笑)。
まんじゅう、羊羹、ラーメン、シジミ汁・・・。他にも干物とかいろいろタダで配ってました。
上手に利用すれば、お金を殆ど使うことなく、満腹になることも可能♪

往路とはうって変わり、復路はしっかりと晴れてきて、気温もグングン上昇。
なんだか暑いぐらいです。

やっぱり桜は青空によく映えますね。

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*鴨が7~8羽ほど泳いでました。エサを奪いあって、結構気性が粗いみたい
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*帰りの線路沿いの桜。
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*河津駅から電車で今井浜海岸駅へ戻ります。
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車に戻って温度計を見ると、16度もありました。
暖かいわけです。

帰りは伊豆スカイラインを通ったのですが、登っていくうちに、
どんどん空が暗くなり、気温も急激に下がっていきます。

あ、雨降ってきた・・・と思ったら、
みぞれ混じりのあられみたいでした。
この時、外気温はなんと0度。
さっきまでの初夏のようなポカポカ陽気となんという落差!

だんだん前が見えないぐらいの猛吹雪に。
まだ夕方だったから多少の明るさがあったのでマシでしたが、
もうちょっと遅く日が暮れた後だったら、危なかったかもしれません。

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短時間のうちに、初夏と真冬を同時に経験できたのが印象深い河津桜紀行でした[手(チョキ)]


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河津桜 Part1 [時事ネタ]

昨日、伊豆半島の河津町に、有名な河津桜を見に行きました。

伊豆地方は、10年以上前からボディボードやシーカヤックをしに、
100回・・・は大げさですが、かなり通っていましたが、
河津桜は今までスルーしていました。
でも、なんだか最近無性に行きたくなってしまい、我慢できないほどに。

まあ、いろいろ諸事情があり、今後いつ行けるか分からないので、
行けるうちに行っておこう、と嫁さんと二人で行くことにしました。
ちょうど3月10日まで「河津桜まつり」の開催期間中です。

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前日の夜中に、河津の約30キロ手前の伊東市内のラブホに前泊。
ちなみに、25時以降チェックインのプランでなんと4000円。
これはお財布に優しいです(笑)。

10時にチェックアウトし、ちょうど11時ぐらいに伊豆急・今井浜海岸駅に到着。
ここは、河津桜まつり会場の最寄り駅である河津駅まで1駅ですが、
なんと、まつりに合わせて無料駐車場を解放しています。

今まで数え切れないぐらい伊豆を訪れている私ですが、
ずっと車だったため、電車には一回も乗ったことがないので、
「電車にも乗れるし、ちょうどいいや!」
と手前の今井浜海岸駅から電車で河津に行くことにしました。

しかし、誤算があり、駐車場に到着した時にちょうど河津方面へ電車が出発したのですが、
この時間帯、本数が少なくて、次の電車はなんと約40分後。

駅下の喫茶店はたまたま休業日なのか、平日だからなのかクローズ。
近隣も散歩してみたのですが、喫茶店らしきものはありませんでした。

なので、今井浜海岸付近まで行ったり、駅舎でまったりしたり、
と時間を潰していました。

*今井浜の無料駐車場にて、桜をバックに愛車をパチリ
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*駐車場から今井浜海岸へ
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*今井浜海岸駅の駅舎。南欧風でカワイイです。
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*今井浜海岸駅から海方面をパチリ
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*ちょっとズーム。いい波立ってます♪
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*今井浜海岸の様子。一人だけサーファーがいました。
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*今井浜海岸から駅へ向かう桜並木
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*伊豆急もSuica使えます!
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*時刻表。ちゃんとチェックした方がいいです...
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*線路脇に咲く桜。なんかいいです。時刻表の表紙みたい?
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*やっと電車が来ました~
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河津駅に到着して、線路脇の道を川沿いのメインストリートへ向かう人々。
平日にもかかわらず、すごい人気です。
これ、もしかして土日はとんでもないことになっているのでは?

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線路沿いに咲く桜もとってもキレイ。
沿道には隙間なく露店が並び、様々な特産品やお土産、B級グルメなどなどを売ってます。
菜の花などの春の香りと、露店からの食べ物の匂いが混ざり合って、
お財布のひもが緩むような陶酔感に浸れます(笑)。

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*線路沿いの桜1
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*線路沿いの桜2
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*線路沿いの桜3
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*桜と電車のコラボ。
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*桜と菜の花、春を代表する最強の2トップ!
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*かわいらしい看板です。いやホント癒されるなあ。
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...Part2へ続く


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Happy Valentine's Day! [時事ネタ]

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今日はバレンタイン。
会社や学校などで、いろいろなドラマが展開されるんでしょうね、きっと。
イスラム圏のマレーシアでは、イスラム教徒に対して、
バレンタインのイベントに加わらないように呼びかけているそうです。

うーむ、確かに起源はキリスト教系なのですが、
そこまで頑なにならなくても・・・って思っちゃいますが、
それは日本人の感覚なんでしょうね。

クリスマスを大々的に盛り上げた一週間後には、
お寺の除夜の鐘で年越しをして、
新年明けたら、神社にお参り・・・。

宗教的に寛容なのか、無節操なのか、それとも無関心なのか。
でも、私的には日本には外国の良いところをどんどん取り入れて、
自国の文化に組み込んでいく、という素晴らしいカルチャーがあるのだと思ってます。

バレンタインは、やや商業ペースに乗せられてるかな、
とは思いますが、せっかくのイベントなんですから、
思いっきり楽しんだら良いのではないでしょうか。

余談ですが、
ハロウィンだけは、なかなか日本に根づかないだろうと思ってます(笑)。

さて、そんなバレンタインですが、
起源を振り返ってみるのも一興かと思いますので、バレンタインの歴史が、
分かりやすくまとめられている記事がありましたので、転載してご紹介します。


バレンタインデーの由来 - バレンタインデー スタイル


[黒ハート]バレンタインデーの由来

時代は3世紀、場所はローマ。時の皇帝により、若者は結婚を禁じられていました。兵隊となり、戦争に出向く彼らがただ国のために命を捧げられるように。愛する家族、守るべき家庭は戦場でで戦い抜く意志をゆるがすから。

キリスト教徒のバレンタインはそんな若者たちを哀れに思い、密かに結婚させていました。皇帝はそんなバレンタインを許すはずもなく、バレンタインは処刑されたのです。

このバレンタインの処刑された日が2月14日。

時は流れ、200年後のローマ。2月14日には、独身の男女がくじ引きでつきあう人を決めるというお祭りが行われていました。風紀の乱れを懸念したキリスト教は、このお祭りを廃止し、キリスト教の殉教者を祀るお祭りにすることを定めます。そこで選ばれたのが、200年前、恋人達のために命を落とした、かのバレンタインでした。

それ以降キリスト教で2月14日は、恋人達がギフトやカードを贈り合う日として定着します。

というのが一般的にいわれているバレンタインデーの由来。

日本でバレンタインデーが本格的に広まるのは1970年代。
1950年代に入ってから、製菓会社やデパートなどでいろいろと行われたキャンペーンや広告などによって、"女性から愛する男性へチョコレートを贈る日" として定着していきました。

そして、現代。今年のあなたのバレンタインデーは?


[黒ハート]聖バレンタインってどんな人?

バレンタインデーは、バレンタインという名前のキリスト教の聖人に由来しています。

聖バレンタインは、3世紀頃ローマに実在したキリスト教司祭かつ医師です。当時のローマ皇帝クラウディウス2世は、兵士が家族を恋しがって軍の志気が低下しないようにという強引な理由で、兵士たちの結婚を禁止していました。

聖バレンタインは、結婚を望む兵士たちにこっそりと手を貸して密かに結婚式をとり行なっていましたが、これが皇帝の知るところとなり、さらに高まるキリスト教迫害の気運もあって、ついに269年(270年という説もある)2月14日に処刑されてしまいました。処刑される前に、女性に宛てた手紙に "From Your Valentine" と書き残したと伝えられています。これ以外にも、イタリアのテルニという場所に同名の司祭がおり、この人物こそがバレンタインデーの起源だという説もあります。しかし、エピソードの内容が非常に似ていることから、本来同一人物だったが、伝えられていくうちに別々の人物のようになっていったのではないかともみられています。



[黒ハート]日本と西洋では、バレンタインデーはどう違う?
日本では、女性が男性にチョコレートをプレゼントするバレンタインデーですが、西洋では男女双方が想いをよせる人にカードを送り、チョコレート、花などの贈り物をする。もちろん義理チョコなどはありません。

日本で最初にバレンタインデーの広告を出したのはモロゾフで、なんと戦前の1936年のこと。オーナーの知人でアメリカ人新聞記者が欧米のバレンタインの習慣を紹介したのがきっかけだといわれています。その後デパートが "恋人に贈り物をする日" として宣伝したことはあったが、さほど定着しませんでした。

戦後、日本のバレンタインデー再出発は、1958年(昭和33年)。メリーチョコレートの営業主任がヨーロッパの知人からバレンタインの話を聞き、東京・新宿の伊勢丹デパートで "バレンタインには女性から男性へチョコレートを贈りましょう" というキャンペーンを行いました。このキャンペーンこそ、女性から男性へという日本独特のバレンタインの起源。メリーチョコレートによると、"女性から" とした理由は、デパートで買い物をするのは圧倒的に女性だったことと、当時の風潮を受けたものだといわれています。昭和33年前後の日本では、アメリカのウーマン・リブ運動の影響を受けて多くの女性誌が創刊されるなど、"女性ももっと意見を。恋愛においても女性がイニシアチブをとりましょう" という時代のムードがあったのです。

その後、日本チョコレート・ココア協会が、2月14日を "チョコレートの日" と制定し、デパートなどの流通業界も加わって大々的にチョコレート商戦を繰り広げたため、1970年代後半から定着し始め、今日に至っています。


[黒ハート]チョコレートと恋愛、どういう関係があるの?

ヨーロッパのチョコレートの TV コマーシャルには、セクシーな男女がダンスをするといった、日本人から見るとちょっと面くらうようなアダルトムードいっぱいのものも多い。

もとを辿れば16世紀、スペインのフェルナンド・コルテスがアステカ帝国(現在のメキシコ)からカカオ豆を持ち帰り、それが恋の媚薬としてヨーロッパ上流階級に広まったことに起因しています。この歴史的背景のために、今でもチョコレートが恋愛と結びつけられているというわけです。

迷信と思いきや、性的に興奮した際に脳内で分泌される物質が、カカオにもたくさん含まれていることがわかったという最近の研究もあります。

ちなみに、チョコレートを歴史的にたどってみると:
もともとは、カカオ豆をすりつぶしたドロドロした液体だった(カカオ豆は、カカオの実の中にある種のこと。カカオの実は、20センチぐらいのラグビーボール状で、白てく甘い果肉があり、ひとつの実の中には30〜40粒の種がある)。健康効果の高さから、アステカ帝国では不老長寿のありがたい高価な薬とされ、王侯貴族が愛飲していたといわれています(植物学名はTeobroma Cacao:神さまの食物)。

16世紀、カカオ豆を持ち帰ったスペインでも、最初は飲み物として上流階級に広まり、17世紀にはイタリア・オランダ・フランス・イギリスにも伝わった。飲むと体が温まるなどの理由から、健康飲料とも、恋の媚薬ともいわれ、当時のヨーロッパ人にとってチョコレートは、庶民の口には入ることのない高価で神秘的な飲み物であった。

1828年には、オランダのヴァン・ホーテンがチョコレートを飲みやすくする技術を開発し、現在のココアができた。最初の固形チョコレートができたのは1840年頃で、現在のようなミルクチョコレートができたのは1876年のこと(スイス人のダニエル・ピーターによる)。日本でチョコレートが初めて製造されたのは1877年(明治10年)頃。第二次世界大戦で一時生産が止まったものの、1950年(昭和25年)頃には再開された。


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伊達巻入りお雑煮 [時事ネタ]

えー、我が家では、子供の頃よりお雑煮に「伊達巻」が投入されており、
それが当たり前だと思っていましたが、数年前に会社の同僚に何気なく話したところ、
「えーーーナニソレ」的な反応をされて、軽くカルチャーショックを受けました。

ですので、「秘密のケンミンショー」で、各地域の人が当たり前だと思っている習慣を、局地的な文化だと知らされて信じられない、といった反応をするのもスゴく分かります。

一体、伊達巻入りのお雑煮の源流は何なのか・・・。
母は東京生まれ、東京育ち。
父は大分生まれで、大学時代を東京で過ごしました。

以降、関西や四国、九州と転勤を重ねているのですが、
「ビギニング」はいつだったのか、今となっては知る由もありません。
ただ、小さい子どもの頃から伊達巻が入っていた記憶があるのみです。

ちなみに、大分の実家で食べたお雑煮は、丸餅のあんこ入りが投入されてました。
これはこれで子供ながらビックリしたものです。

伊達巻入りお雑煮。
始まりは分かりませんが、私は気に入っているというか、
コレを食べないと新年が始まらない感じなので、我が家の伝統として受け継いでいく所存であります(笑)。

甘い伊達巻に、塩気のある出汁が染みこんで、
結構ウマいですよ?

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Webで見積書作成ソフトEnvoice
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謹賀新年 [時事ネタ]

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明けましておめでとうございます。
今年は昨年よりもマシな年でありますように。

さて、今夜は嫁さんの同僚の女性が主演するという芝居を見に都内某所までお出掛けしていました。
こじんまりとした舞台で、まさに目の前でお芝居を堪能させて頂きました。

内容は世相を反映した人間ドラマで、その内容にも考えさせられるところはあったのですが、お芝居をしている方々が同年代でもあったので、同じ年代で自分のやりたいことを追い続けている姿そのものが、私にはとてもまぶしく映りました。

いろいろとご苦労もあるとは思うのですが、やりたいことを、夢を追いかけている様が実に羨ましい。

私もいくつになっても夢は追い続けたいという気持ちにさせて頂きました。
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今年の漢字 - 結果 - [時事ネタ]



昨日発表された、今年の漢字ですが、
「暑」でしたね。

これもこれで納得であります。
確かに今年は暑かった。

今年は過去最多の28万通を超す応募があったそうです。
感心が高まっているようですね。

ちなみに、
2位は「中」、3位「不」、4位「乱」、5位「異」、6位「国」、7位「高」、8位「嵐」、9位「熱」、10位「変」が選ばれました。

来年はどんな漢字が選ばれるのでしょうか。
いや、そんなことを考える前に「今年の10大ニュース」が待ってますネ。
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今年の漢字 - 予想 - [時事ネタ]


毎年恒例の「今年の漢字」が本日清水寺で発表されるそうです。
いつも思うことですが、今年もいろいろあったなという気がします。
そして、年々時間が早く過ぎていくのを実感しています。
これが年を取るということなのでしょうか・・・。

様々な方々が既に予想されていますが、私も一応「今年の漢字予想」をしてみたいと思います。
私の予想は・・・



理由は、猛暑での温、尖閣や朝鮮半島での緊張のまり。
いろいろなことがありましたが、個人的にはこの2点が印象深いです。

さて、どの漢字が今年の「顔」になるのか、楽しみです♪
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