混迷の漂流国家ニッポン。政治の理想を追求すべく"新党ひとり"をバーチャル立党。それが『未来党(The Next Generation's Party)』。
スピリチュアル体験 [スピリチュアル]
真夏ということで、ちょっとスピリチュアルな体験をご紹介してみてもいいかな、と思いまして今回はいつもと趣向を変えてみたいと思います。怖い体験もほんのちょっぴりありますが、それよりも明るい内容の方が当ブログのカルチャーに合っているような気がしますので、そんな雰囲気のエピソードを2つほど。
エピソード1 『あの世の不思議なスクリーン』
それほど霊感が強くない私ですが、いわゆる幽霊を見たり、いろいろな体験をしたのは、私が香川県に住んでいた幼少期(幼稚園~小学3年冬)に集中しています。
この体験は恐らく小学校低学年の頃のことだと思います。
時間帯は昼間か夕方頃だったかと思うのですが、自宅の居間で親と過ごしていた時、しかも何か会話をしている最中ではなかったかと思うのですが、ハッと気がつくと次の瞬間、私の目の前にはなだらかな丘の数々と、それに伴いどこまでも続く一面の花畑が広がっていました。花の種類も赤、青、黄色・・・といろんな種類の花が咲いていました。
なんだか太陽の光がまぶしく、ぽかぽかします。
雰囲気で言うと、5月、6月頃の初夏という感じでしょうか。
とても居心地がよく、まったく怖いとは思いませんでした。
現実の場所で一番イメージが近いのは北海道の美瑛です。
なので、今年のGWに北海道旅行する際に美瑛行きにこだわったのは、実はこうした理由があったからでした。
ふと、丘の下を見ると、割とすぐ近くに大きな建物がありました。
今にして思うと、かなり近代的な建物で、非常に美しいフォルムだったと思いますが、建物の階数は1階建てですが、天井がやや高い感じです。そして横長な長方形です。
長さは50mぐらいだと思います。奥行きはよく分かりませんが、恐らく20m程度ではないかと思います。
そして不思議なことに、壁があるようでもあり、ガラス張りになっているようでもあり、中の様子が私には丸見えになっています。
建物の中を見てみると、30~50人ぐらいの人が床に直接座っていました。
なぜだかみな同じ方向を向いて座っています。
私は建物を真横から見ている感じなので、みんなは私から向かって右側を向いているのです。
よく見ると、顔を上げて前を見ている人もいれば、中にはうつむいている人もいます。
その視線の先に何があったかと言うと、巨大なスクリーンでした。
といっても映画館で目にする程度の大きさです。
ただ、不思議だったのは、そのスクリーンには何も映っていないのです。
もしくは、映っているものが私には見えなかった、ということなのかも知れません。
そこで「変だなぁ」などと思っていると、いつからそこにいたのか、お坊さんらしき人が声を掛けてきました。頭は確か剥げていたというか、ツルツルだったような気がします。そして黒っぽい和服のようなものを着ていました。多分それはお坊さんの袈裟衣だったのだと思います。
そしてそのお坊さんはとても優しい笑顔をたたえながら、私にこう語りかけました。
「まだここに来るのは早いよ」
確かこのような内容だったと記憶しているのですが、この言葉を聞き終えた直後、今度は先程の自宅の居間に戻っていて、親も目の前にいました。私は別に倒れてもいませんでしたし、親もとくに心配した様子はありませんでした。
ただ、その様子から察するに、私の「お花畑の丘での体験」はほんの瞬きの間の出来事のようでした。信じられないことですが、空間ばかりか時間の流れ自体が異なっていたようです。
キョトンとしている私に親はどうしたのか尋ねたため、私は親にいま起きた出来事を話しましたが、とくに疑われることなく受け入れてくれたことがとても嬉しく感じたものです。
この体験はいわゆる臨死体験に近いものがあるかも知れませんが、私の心臓は止まっていませんでした(笑)。そして、私が見た不思議なスクリーンは何のことか意味が分からなかったのですが、後年、それが何を意味するのかやっと理解できました。
みなさんも「それ」がなんだったのか、ぜひ推測してみてください。
エピソード2 『死の危機を救ったインスピレーション』
これは私が中学校3年生の時の体験です。
中学生当時、私は福岡県に住んでいました。
中学へは自転車通学でおよそ20分ぐらいの距離だったかと思います。
自宅から中学校へは途中、国道3号線を必ず通るのですが、行きは300mほどの上り坂になっていて、朝遅刻ギリギリで急いでいる時にはとても煩わしかったものですが、逆に帰り道はラクチンコースに変わります。
自転車通学する際は、必ずヘルメットを着用しなければならなかったのですが、3年生ともなるとまずヘルメットを着用することはありませんでした。ただ、先生に見つかった時の言い訳のために常に自転車のカゴに入れていたのです。
ある日、授業が終った後、珍しくまっすぐ帰宅した時のことです。
いつものようにヘルメットをカゴに入れて帰り道を走っていました。
国道3号線に出て、左側を走行するため信号を渡りました。あとは坂道をビューンとラクラク下れば、家まであと5分で着くということろです。
いつもなら、そのまま左側の歩道ではなく、走行車線をそのまま下るのですが、その日は違いました。信号を渡り終え、坂道を下る前になぜか一旦止まったのです。
そして、いつもカゴに入れていたヘルメットを、なぜだか被らなくてはならない気がして、しかも被るだけではなく、きちんとアゴ紐まではめたのです。
ここまでしてようやく、いつものラクチンな坂道を下り始めたのですが、少し前を走っていた車が急に減速したかと思った次の瞬間、後部座席の左側ドアが急に開いたのです。
しかも私の目の前で・・・
すでに坂道を下り始めて、そこそこスピードが出ていた自転車が、目の前にドアが現れたからといって、急に止まれるわけがありません。
私は自転車もろとも、その車のドアに激突してその勢いで、歩道の角ブロックに思い切り頭をぶつけてしまいました。
その車には女性とそのやや幼い子供が乗っていたようです。
そしてその女性ドライバーの話によれば、左側の歩道に上の子供が歩いているのを見つけ、声を掛けるために減速というか、正確には停車したのだと思いますが、その際に後部座席に乗っていた下の子がドアを開けてしまったそうです。
その事故直後、その加害者のおばさんの車に乗せられ、近くの病院に運ばれ、いろいろ検査をされました。とくに頭部を強打したこともあり、かなり念入りに検査したと思います。
しかし、診察した先生からは、
「どこにも異常はないよ。かなり強く打ったようだから様子を見る必要はあるけど、いまのところはなんともない。奇蹟みたいだ。もしヘルメットを被っていなかったら死んでいてもおかしくない。」
と言われたのを覚えています。
まあそれでもさすがに無傷だったわけではなく、左足の指を1本骨折していました。
とはいえ、あの時もしヘルメットを被ろうと思わなければ、いまこうしてブログを書くこともなく、私はとっくにあの世に旅立っていたことでしょう。少なくとも重度の後遺症は残ったでしょう。
坂道を下る直前のインスピレーションに感謝しつつも、「もし・・・」と考えるといつも背筋がゾッとします。みなさんもこうしたインスピレーションを受けた時は、素直に従った方が良いかも知れません。