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混迷の漂流国家ニッポン。政治の理想を追求すべく"新党ひとり"をバーチャル立党。それが『未来党(The Next Generation's Party)』。

(再掲載)『未来への提言』 中 (1997年論稿) [政治]

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無宗教国家日本の敗北


マスコミが現在のように暴君と化した背景には、唯物論・無神論の蔓延があります。
では、なぜこのように唯物論・無神論が蔓延することになったのでしょうか。

それは、戦前・戦中からの「皇国史観」が先の大戦によって敗れ、「神国ニッポン」が解体される過程において、国家の精神的主柱である「宗教性」が日本から抜き去られたことにあります。
確かに、「神国ニッポン」は敗れはしましたが、
それは「日本神道を利用した日本軍」が敗れたということであって、決して宗教そのものが敗北したということではないのです。

にもかかわらず、極端な宗教性の中で悲劇を味わった国民は、宗教を日本から排除する方向に努力してきたかのように見えます。

そうした国家の精神的主柱を失った日本人の心の隙間を埋めたのが、逆に戦前・戦中に政府から弾圧された「マルクス主義史観」でした。
宗教が駄目なら今度は唯物論で、ということだったのでしょうか。

こうして国家の舵は極端から極端へと、再びその針路を変更していったのです。
そして、戦後五十数年間、日本人は宗教なき、神なき時代を過ごしてきました。
その間、確かにひとつの繁栄をその歴史に刻みはしましたが、その結果どうなったでしょうか。

学校ではいじめが流行し、世間では異常犯罪が増加し、中学生や高校生が「援助交際」として売春を行う「獣の社会」になっています。こうなった責任は、それらをセンセーショナルな記事や報道で助長したマスコミ、マスメディアにもありますが、その根本の原因は、戦後の唯物論教育にあります

人間はひとりで大きくなっていくわけではありません。
人間は個人的な存在であると同時に社会的な存在でもあります。
人間が生まれ落ちて、白紙の状態から社会化(socialize)されていく過程において最も重要な役割を果たすのは、家庭と学校教育です。

とくに学校教育においては、宗教性がまったくと言って良いほど取り除かれた形での唯物論教育がなされてきました。
そして、宗教というものを、ある種いかがわしいものであるかの如く封じ込めてきました。
その結果、人間の尊厳を知らず、互いに愛し合うことの大切さを知らず、エゴイスティックに生きる人間を大量に生み出すことになったのです。

統一教会やオウム教などのカルト宗教によって、「マインドコントロール」という言葉がクローズアップされましたが、これは何も宗教の世界だけにあるのではありません。
会社組織やその他社会的集団、そして国家においてもあり得ることなのです。

そして私たち日本人は、
「戦後の唯物論教育こそが最大のマインドコントロールである」という、
戦後最悪の逆説
に気がつかねばなりません。

この世は神々の統べる世界です。そして、あの世は実在します。
そしてその実在する世界の価値基準やヒエラルキーを宣べ伝えているのが正しい宗教なのです。
その正しい宗教に蓋をした結果が、現在のような有様です。

このような堕落・退廃した社会の姿を露呈するに至り、無宗教・唯物論が人間を、そして社会を幸福にしないということを証明したと言っても良いでしょう。
無宗教国家日本はここに敗北
したのです。



『未来への提言』 上 (1997年論稿)
『未来への提言』 下 (1997年論稿を一部加筆)
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