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混迷の漂流国家ニッポン。政治の理想を追求すべく"新党ひとり"をバーチャル立党。それが『未来党(The Next Generation's Party)』。

平和のための考え方 [政治]

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先日のエントリーで中国の軍備拡張についての懸念について触れました。
とくに海軍増強、なかでも空母建造計画についていよいよ具体化してきたことで、日本政府もやっと重い腰をあげたようではあります。

中国のやる気満々のスタンスからすると、それでも心許ない気もするのですが、
大切なのは「やられたらやり返しますよ?」
というスタンスを取ることです。
ブラフでも良いので、ファイティングポーズを取ることです。
「手を出したら、そちらも無傷ではすみませんよ?」と思わせることです。
これが抑止力の原点であると考えます。

私はいたずらに中国や北朝鮮を仮想敵国とすることには慎重であるべきだとは考えますが、同時に、一方的に脅されるだけでヘラヘラと言いなりになるしかない、というのも嫌です。

私は戦争自体はなくすべきだと思っていますし、平和を求める者でもあります。
しかし、現実的に戦争というものがなくならず、自国の周辺に核兵器と大規模な軍隊を所有する国が複数ある状況では、自衛のために軍備を持つことは自然な流れではないのではないかと思うのです。

平和というものを考えるうえで、日本人として避けては通れない議論ですので、様々な意見、解釈があることは承知の上で、「憲法9条」についての私見を簡単にではありますが、述べておきたいと思います。


第2章 戦争の放棄

 
第9条 
日本国民は、正義と秩序を基調とする国際平和を誠実に希求し、国権の発動たる戦争と、武力による威嚇又は武力の行使は、国際紛争を解決する手段としては、永久にこれを放棄する。

 前項の目的を達するため、陸海空軍その他の戦力は、これを保持しない。国の交戦権は、これを認めない。


「憲法9条を世界遺産に」と言っているタレントもいるようですが、理想論としてはその意見に賛成です。しかし、現実論として見るとかなり無理があると思うのです。

この戦争放棄の前提は、
「正義と秩序を基調とする国際平和」です。

つまり、周りの国がみんなすべて平和であり、正義と秩序に溢れている場合ということです。
翻って世界全体、いやアジア諸国だけとってみても、とてもそのような状態とは程遠いのではないかと思うのです。

そのような中で、日本だけが高貴な理想を追求し、軍事力を放棄して、米軍もすべて追い出してしまうとどうなるか想像してみてください。たちまち日本は中国、北朝鮮、ロシアなどの属国、いや植民地と化してしまうはずです。

私は問いたい。
安易なガンジー主義を唱える人々に。
「あなたが自国の守りをすべて捨て去って本当に平気だと言うのならば、
まず家やマンションに鍵をかけなくても、
泥棒などの犯罪者が絶対に侵入して来ないということを証明すべきです。
もし泥棒などの犯罪者がきても、自宅のドアに
は平和主義者です。いっさいの抵抗手段は放棄しています。
鍵もかけていません。
ですからあなたも罪を犯さずに立ち去ってください

と張り紙をしたら泥棒が手を出さないと本当に思えますか?」と。

かなり極端な例えに思えるかも知れませんが、私から見ると行き過ぎた平和主義者はこのようなことを平気で主張しているように見えるのです。

人を信用することは悪いことではありませんが、自分の不利益を回避するためにはあまり性善説に偏らない方が賢いのではないでしょうか。

国防についても同様です。
悲しいことではありますが、性悪説の観点から「常に最悪の状況を想定してそれに備えること」が国防の基本なのではないかと思うのです。

個人の単位だと犯罪はなくならず隣人さえも信用できない悲しい世の中ですが、国家の単位であれば無条件に相手を信用してOK、というのは論理が成り立たないと思います。

武力放棄を唱える方々は、まず自宅の鍵をすべて掛けないことから平和への第一歩を踏み出してください。もしそれができないなら、単純な武力放棄を唱えるのは遠慮して頂きたい。

あと、もう一点どうしても述べておきたいことがあります。
それは前述の9条の中で、
「陸海空軍その他の戦力は、これを保持しない。」
と明記されていますが、これをどう捉えるかです。

私自身は法律を専門に学んだわけではありませんが、この文章を見ると小学生や中学生であっても、矛盾を感じるはずです。
「自衛隊の存在ってどうなの?」と。

どのように解釈しようが、普通の感覚で素直に読めば自衛隊が違憲であることは明らかだと思っています。しかし、そこに目をつぶり詭弁を重ねてきたことに無理があったのだと思います。

ですから、私の現時点での結論としては、
「憲法9条は改正すべきである」という立場です。
憲法自体を現実に即したものに改正して頂きたいというのが私の願いです。

かつて社会党は自衛隊を違憲であると主張していました。
自衛隊不要論すらあったように記憶しています。
しかし、自社さ連立政権時に阪神大震災が発生するなど自衛隊の必要性を認める方向へ思想をチェンジせざるを得なくなりました。

ちなみに、阪神大震災発生時、当時の自衛隊最高指揮官である村山首相の自衛隊出動命令が数時間遅れたせいで、助かる命がかなり失われたとも言われています。

さらに、日本に米軍基地はいらない、あるいは日米安保破棄という思想を持った方が多い民主党において、普天間基地問題により、「勉強したら抑止力が必要であることを学んだ」鳩山前首相や「自分が自衛隊の最高指揮官であることを知らなかった」菅直人首相も従来の主張とは真逆の「米軍基地は必要。日米同盟は重要」と言わざるを得ない状況に陥りました。

まるで、左翼主義者や国防音痴の方々を教育するために時代精神が用意した踏み絵であるかのようです。
しかし、現実論として国防というものを考えると当然の帰結とも言えるのです。

平和というものは戦争と戦争の間のことである、
という言葉もありますが、
私は「平和というものは、抑止力の均衡を維持する努力の結果である」
と考えています。

こういう言葉で表現すると、下手すると軍国主義者のように誤解されるかも知れませんが、真の平和というものを実現するためには段階が必要なのではないかと思います。

理想は全世界の人々が争うことの愚かさに気づき、お互いを尊重し合う平和な世の中です。
しかしながら、そこへ到達するにはまだいくつもの試練を乗り越えなければならないとも思います。
そのための第一段階と言いますか、最低限のこととして自分の国を守るということは極めて普通のことです。

「攻めもしないが、攻めさせもしない」
これが、私が国防というものを考えるときに常に念頭にある考え方です。



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