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混迷の漂流国家ニッポン。政治の理想を追求すべく"新党ひとり"をバーチャル立党。それが『未来党(The Next Generation's Party)』。

民意の耐えられない軽さ [政治]

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参院選が終り、ひとつの民意の判定が出ました。
民主党の惨敗が、直近の民意であると。
ともかく民主党が衆院・参院過半数を占めるという、最悪のシナリオが回避されたことに対し、ひとまず胸をなでおろす気持ちです。

ただ、やはり気になるのは相変わらずの投票率の低さです。
12日発表の総務省の報告によれば、今回の参院選の投票率は選挙区選、比例選ともに57.92%とのことです。

低い。低すぎです。
「自社さ」連立政権下で行われた95年は過去最低の44.52%だったこともあるようですが、今回の投票率には半ば予想通りとはいえ、ガッカリです・・・。

「政治に不満がある」、「政治家が信用できない」、「政治不信だ」という意見、ごもっともです。
しかしながら、政治は民意のバロメーターです。その政治がおかしくなっているのは、我々が政治に関してあまりにも無関心になり過ぎていること。そしてたとえ関心はあれども、政治をスポーツ・芸能ネタと同列に扱うメディアに翻弄され過ぎていることに大きな要因があると思えるのです。

「政治に怒りを感じるから投票を棄権する」とか「選挙に時間を取られるのがもったいない」、「そもそも投票に行くのが面倒」という方々に対して、私ははっきりと間違った考えであると言いたい。
先日のエントリーでも申し上げましたが、投票を棄権するということは、どのような政治を行われても文句を言えない、あるいは言う資格がないということを改めて訴えさせて頂きます。

私の母は自身の支持政党に一票を投じられることに大きな期待を持っており、具体的に国政へ参加することに誇りを持っていたと思います。今回も選挙を心待ちにしていたと言っても過言ではないでしょう。
しかし、そんな母は現在、脳梗塞で倒れた影響による半身麻痺の状態で選挙どころではありません。
その心中を察するにさぞや無念だろうと思います。

しかし、今回投票しなかった有権者の4割の方々は、みなさんがこのように病気や怪我などで身動きが取れない状況ではなかったはずです。

投票に行こうと思えば、
その満足に動く足で、期日前投票を利用していつでも投票所に行けたはずです。
その満足に動く手で、投票用紙に自分の意思を書くことができたはずです。
投票を棄権するということは、ある意味国民であることを棄権していると同意です。

「本物の政治家が出てこない」、「リーダーシップを持った政治家がいない」、と嘆く前に、私たち国民一人ひとりの政治に対する意識を変えなければなりません。
国政を変えていくには「質と量」の両方を高める必要がある考えます。
「質」とは何であるか。それは政治に対する見識を高めることです。
「量」とは何であるか。それは政治に参加する人たちを増やすということです。

ですから、もし政治や政治家がどうしようもない状態に見えるとすれば、それは我々国民の政治に対する姿勢や見識といったものを鏡写しにされていると思ってください。

軽い民意からは軽い政治家が出てきます。
質の高い政治家を排出したければ、見識と投票という2つのハードルで政治家を育て上げていく、ということが民主主義を衆愚政治に堕落させないために必要な考え方ではないかと思います。


・・・今回は元々「千葉法相続投」の件について書くつもりでタイトルをつけたはずが、なぜだかまったく違う内容になってしまいました(笑)。私の中の抑えても抑え切れない心の声が表面化してしまったのだとご理解ください。


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